本丸、保育園のために、よく土塁を破壊しなかったものです。今は少子化のためか廃園となっています。それにしても、地方は廃屋がとても多いと感じています。日本は今後、大丈夫かと心配になるほどです。 赤見 泰拠(あかみ やすより)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏家臣。後に後北条氏家臣。父・綱泰と同様の受領名「山城守」を名乗っていた。 生涯[編集]父は上野沼田城主・沼田顕泰の次男である赤見綱泰。生年は不明だが嫡男・昌泰の事跡から1520年代頃と推測される[1]。天文16年(1547年)に信濃で山内上杉家と武田氏間で勃発した小田井原の戦いでは武田晴信(信玄)より戦功を賞されており、このことから実家である沼田氏を出て当時武田氏に仕えていたことが分かる[1]。後に実家の沼田氏に戻り、父・綱泰と共に後北条氏一族で沼田氏の名跡を継いだ沼田康元に仕えた。永禄3年(1560年)に長尾景虎(上杉謙信)が関東侵攻を開始す