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2011年12月2日のブックマーク (1件)

  • ある種の親は社会的に認められているもの以外の価値を認識すること自体ができない

    故に、勉強以外については親に理解されなくて当たり前だ,くらいに考えていたほうがいい。 「親に自分のことを理解してもらいたい」という希望は、日に限って言えば、子供は持たないほうがいい。そうしないと、辛い。 うちの親は収入面では中流の上の方だったと思うけれど、いろんな意味で教育は中流どまんなかって感じだったかな。 親の意思で習い事やスポーツをさせておいて、 いざ勉強シーズンが始まると、どんだけ抵抗しても「勉強のために」という理由だけでやめさせられた。 その時から分かってはイタけれど、親は社会的に認知されたもの以外の価値を認識すること自体ができない。 これ自体を責めてみたところで意味が無い。親はそういう時代に生まれてきたのだから。 子供の頃に習い事をさせていたのは 「子供にいろいろ習い事させるのは良い親」という社会的な尺度があったからだろう。 ところが、習い事に関しては、小学校高学年くらいから

    ある種の親は社会的に認められているもの以外の価値を認識すること自体ができない