それを見てから2ヶ月が経った。それについて書くのに2ヶ月を有した。書いては消し、書いては消しの日々が続いた。 2ヶ月前の事。「共にいること」がタイトルに含まれている眼前のその「展示」を、何処かで遠い過去に繋がったものの様に見ていた。まるで「幽霊船」に乗り込んでしまった者の様に。 「常陸太田市西山研修所」で行われた出来事を、21km離れた「水戸芸術館」に移動させたそれは、2015年のパラソフィア「京都市美術館」に於ける「バスケット・ボール」や「クリスト」の様な「同一」の「地点」で重なり合う「サイト・スペシフィック」とは異なるものだ。「事件」が起きた「地点」と、今ここで見て「地点」は異なるにも拘らず、それでもそこは「同一」の「場所」だ。だからこそ「幽霊船」なのである。 その2ヶ月の間に(も)、「共にいること」に関する出来事が、この惑星上で様々に起きた。 「共にいること」を志向した「近代」的な「