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ブックマーク / futoimegane.hatenablog.com (2)

  • 複数の人を愛することの正当性について - 誰かが言わねば

    現在の社会のルールでは、たとえば一人の男性が同時期に五人の女性を愛していると主張した場合、そんなにたくさんの愛など存在するわけがなくその男性は嘘つきで不誠実な人物だと受け止められます。 しかし一方、現在の社会のルールでは、一人の人が同時期に五人の息子や娘を等しく愛していると言うと、それはそうだろうと主張が受け入れられます。 ここで、 五人の女性を同時期に愛することが出来ないなら、五人の子供を同時期に愛することも出来ないのではないか? 五人の子供を同時期に愛することが出来るのなら、五人の女性を同時期に愛することも出来るのではないか? という疑問が浮上します。 五人の子供を同時期に愛することは出来るが、五人の異性を同時期に愛することは出来ないと言うならその根拠は果たして何なのでしょうか? おそらくここには「愛というのはこうあるべきだ」というある種の信仰のようなものがあるのだと思われます。 「愛

    複数の人を愛することの正当性について - 誰かが言わねば
    kachine
    kachine 2014/07/08
    個としてはそれで成り立つのかも知れないけど、群として考えるとその社会は成り立たないんでないか。リア充vsボッチの乱だけではなく、同一人物に愛される人々の序列争いとか。そのソリューションが、一夫一妻制かと
  • 日本人は凄いという内容の本やテレビ番組をみて喜んでいるとアホになる - 誰かが言わねば

    鏡に「世界で一番うつくしいのはあなたです」と言わせて喜んでいる王妃の姿はおぞましいですが、テレビに「日人は世界中で尊敬されているんです」と言わせて喜んでいる視聴者の姿も同じくらいおぞましいものです。 世界には様々な意見を持った人がいます。その中から「日のここが凄い」とか「日人はこんなに尊敬されている」なんていう、自分達にとって耳当たりの良い話だけを集めてもそれは客観的評価ではありません。自分にとって耳当たりの良い話だけを聞いて喜んでいるというのでは裸の王様と同じです。 テレビ局は視聴率の取りやすい番組を作ろうとします。こういうバカげた番組を作って視聴率を稼ごうとするテレビ局の倫理観の低さにはもちろん問題がありますが、こういうバカげた番組の視聴率を上げてしまう視聴者にこそ最も大きな問題があります。 そもそも、もし仮に日人全般の評価が高いとしても、それによってテレビを見ている一個人の価

    日本人は凄いという内容の本やテレビ番組をみて喜んでいるとアホになる - 誰かが言わねば
    kachine
    kachine 2014/06/04
    いや、別に喜んでもいいだろ。ただ、それだけで終わってしまうと残念な人になる可能性は高いかも知れない。凄い人が居る一方、自分はどうだ?って確認しながら自己PDCA回していける人が次の凄い人になると思う。
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