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ブックマーク / note.com/papurika_dreams (3)

  • なぜ女優は年をとると道化を演じなければならないのか 下/「おばちゃん」がBadassになるまで|パプリカ

    (なぜ女優は年をとると道化を演じなければならないのか 上 https://note.mu/papurika_dreams/n/n35fed0103cb3 に続きます) 先日、Twitterが藤原紀香の話題で沸いていた。彼女が久しぶりに主演したドラマがどうやらあまりに仰々しく馬鹿げた演出で、それを見た人たちが高揚しながらその内容を書き込んでいるのだ。90年代後半、彼女が人気絶頂期にナンシー関がそのやりすぎ感や古典的なまでの芸能人ぶりを非常に洗練された文章で皮肉ったことを皮切りに、藤原紀香はサブカル文脈において一貫してメタ的分析の対象であった。人は大真面目であるが大味な芝居や時代がかったスターぶりがその恵まれた容姿とアンバランスで一層人の関心を引きなにか言わずにはいられない対象ではあった。 歌舞伎役者と結婚し、しばらく目立った女優活動をしていなかった彼女の主演ドラマはそういう私たちの期待を裏

    なぜ女優は年をとると道化を演じなければならないのか 下/「おばちゃん」がBadassになるまで|パプリカ
  • なぜ年をとると女優は道化を演じなければならないのか 上/『FEUD/確執 ベティVS ジョーン』|パプリカ

    『FEUD /確執 ベティ VS ジョーン』はgleeのプロデューサー、ライアン・マーフィー制作の連続ドラマだ。これは巨匠(とあえて言いたい)ロバート・アルドリッチ(アルフレッド・モリーナ)監督作品の『なにがジェーンに起こったか?』制作内幕劇を題材に2人の大女優、ベティ ・デイヴィス(スーザン・サランドン)とジョーン・クロフォード(ジェシカ・ラング)の女優人生の後期を描いたドラマである。2人は30年代のハリウッド黄金期に映画女優となり、それぞれに苦節を味わいながらスターになった。しかし2人の女優としてのあり方は対照的だ。ベティ ・デイヴィスはブロードウェイ出身の実力があり、その演技力と表現力で、誰もが演じるのを躊躇した『痴人の愛』での悪女役で逆に大衆の大人気を得るほどであった。彼女がLAの映画スタジオから軽んじられ、オスカーノミネートから外れたとき、多くの新聞や雑誌のコラムで抗議の記事が掲

    なぜ年をとると女優は道化を演じなければならないのか 上/『FEUD/確執 ベティVS ジョーン』|パプリカ
  • 「そのコは結局運がなかったのよ」笑いの裏に描かれるクドカンの残酷|パプリカ

    宮藤官九郎作品を見ていると、常に私の頭の中をある言葉が渦巻く。 「この世は残酷である」 これをひたすら伝えたくてクドカンはあらゆる物語を作っているのではと思うほどだ。それを特に強く思わせたのが他でもない『あまちゃん』である。NHK朝ドラですらクドカンはその手を止めなかった、いやむしろ他の作品よりも一層その傾向を強めたのだ。 「ま…結局は運よね、運がなかったのよ、そのコは」鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)の台詞である。これはアキ(能年玲奈)の母親 春子(小泉今日子)が音痴であった鈴鹿ひろ美のゴーストシンガーとなるほど有望であったにもかかわらず、なぜアイドルとしてデビューできなかったのかの理由を彼女がそれとは知らず語る場面で吐かれる言葉である。 当時マネージャーであったアメ横女学園プロデューサー太巻(古田新太)と彼女は恋仲であり、春子の歌声のお陰で売れっ子アイドルとなるも、女優に専念したがった鈴鹿の

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