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ブックマーク / nainaiteiyan.hatenablog.com (7)

  • 視覚情報と形而上学 - はてなブログ大学文学部

    絵は音楽には勝てない。 絵は音楽ほど人々に涙を流させない。 人間の5感は視覚が大半で聴覚は10%ほどを占める。 にもかかわらず視覚は聴覚ほど感動を与えない。 精神という曖昧な言葉で語る前に、理性と能に分解する。 人が音楽に感動するのは精神になんらかの作用を与えるからであることは疑いない。 では理性に対して作用するのか。能に対して作用するのか。 その前に欲について考えてみる。 恋愛においては聴覚より視覚のほうが優位にあるようにみえる。 この前提は自明のものとして話を進める。 男性の場合、視覚情報は能に作用する向きがある。 脳科学的に説明は可能であろう。 逆に、視覚情報が理性に作用するとすればそれは何をその男性にもたらし得るか。 このように考えていくと聴覚は能にとって何を満たしうるのであるかという問いを立てることができる。 能にとって聴覚とは何を満たすための器官であるべきなのだろうか

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  • 読書日記174 - はてなブログ大学文学部

    松岡正剛『宇宙と素粒子 千夜千冊エディション』を読む。 熱力学に関する情報が沢山詰まっている。 また、熱力学は宇宙を説明する際に重要な位置を占めているように見える。 そして、世はフラクタル構造の様相を呈するこの地球において、ミクロ的な現象は宇宙の諸法則によっても説明され得る。 散逸構造、ベナール対流、自己組織化理論、ゲージ理論等。 松岡氏の逸脱した能力はこれらに限らず、あらゆる領域を横断し貪り読んだ果てに獲得した編集的思考力にある。 自己組織化理論はビジネスに応用できるので、この編集的思考力によってビジネス上の問題をアナロジー的に分析することによってその課題をクリアする。 こういう仕事を若い頃からやっているみたいであるので、やはりその研ぎ澄まされた精神に畏敬の念を感じざるを得ない。 僕は今のところこの分野においては、松岡氏を超える天才を知らない。 つづく

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  • 東京リベンジャーズを観る - はてなブログ大学文学部

    日、アマゾンプライムのエピソード24話分を全て観終える。(ネタバレなし) 画像引用:東京リベンジャーズ公式サイト http://www.tokyo-revengers-anime.com 東京リベンジャーズは、タイムリープをしながら未来を変えていく物語である。 タイムリープを扱った作品は古今東西数多くある。 そのなかでも、この作品は特に個人的には没入感のある作品である。 「ここを変えれば未来は変わる」 しかしながら、過去をどれだけ頑張って変えても「肝心」な箇所までは変わらない。 物語のシナリオとしてはベタなものかもしれないが、この作品にはどうしても未来を変えてほしいと応援したくなる。 過去を変えても部分的にしか変わらない。 かつてそのような作品があっただろうか。 僕の数少ない経験のなかではそんな作品は今までなかった。 だからこそオリジナリティと斬新さを感じるのである。 絶対に変えたい未来

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  • 凛として咲く言葉の如く - はてなブログ大学文学部

    人生は草「おお哲子」 哲子「また?今日二回目なんですけど~」 人生は草「いいではないか、早速聞きたいことがあるのだが」 哲子「忙しいから早くしてくれないかな」 人生は草「わかった。今回は難しいからさっそく題にいこうじゃないか。哲子、パズルってやったことあるかい?」 哲子「舐めてる?」 人生は草「悪い悪い。ところで、ではコミュニケーションもパズルのようなものだとは思わないかい?」 哲子「まーそんな気もするね」 人生は草「例えばだよ、嘘も方便という言葉があるではないか。あれはだね、つまりその場で必要とされる言葉が文脈という名のパズルで構成されているということではないかと思うのだよ」 哲子「また難しい話を、、、」 人生は草「もし他人を気遣ったとしても、不適切な嘘をつけば傷つけることになる。これはパズル上の失敗だとは思わないかね」 哲子「まあ失敗だね」 人生は草「しかもコミュニケーションは時間制

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  • 読書日記155 - はてなブログ大学文学部

    『不確実性を飼いならす』のつづきを読み進める。 nainaiteiyan.hatenablog.com 気付けば話は統計学に切り替わっていた。 そして、僕は去年の院試を思い出した。 標準偏差、分散、相関係数。 基はさらっと勉強したつもりではあるものの、話がどんどんアカデミックに進んでいく。難しい。 社会物理学の項目でいよいよ読書が疲れた。 数学が嫌いな人にとってこのは苦行でしかない。 裏を返せば、やはり確率に関する知識はそのまま統計学の知識となる。 統計学は何故高校で必須にしないのだろう。 僕は率直に思う。 資主義は金融市場に支配され、金融市場は統計学に支配されている。 つづく

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  • 読書日記153 - はてなブログ大学文学部

    玄田有史『希望のつくり方』岩波新書(2010年)を読む。 正直なところ、あまり読んでいて気持ちの良いものではなかった。 著書は「希望学」の研究をしてきたとのことであるが、研究から得られた量的なデータが全くない。 加えて書の内容はほとんど僕が今まで学んできたことばかりという印象である。 きわめつけは、高みから見下ろされている感がするところである。 安全地帯(つまりは大学教授という地位)から書かれたナラティブには気迫がない。 そして希薄。 これを読むといっそう希望が見えなくなる思いである。 ただ、僕の考え方は著書とあまり変わらない。だからこそ余計にやるせなさを感じる。 人生が決定論のように決まりきっていてはつまらない。 かといって先に行きが不明であっても不安。 希望は人間が作り出した虚構ではないだろうか。 希望について考える時間があれば僕はポジティブ心理学を勉強したほうが有意義だと思うし、今

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  • 読書日記150 - はてなブログ大学文学部

    松岡正剛『物語の函 世界名作選Ⅰ 千夜千冊エディション』(2020年)を読む。 この方の文体を、構成を、リズムを、運動を僕は盗みたい。 読んで思うことはただひとつ。 尋常じゃない引き出しの数をこの方は持っている。 今日はフローベール『ポヴァリー夫人』、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』、ゾラ『居酒屋』、フランソワ・ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』の項を読む。 今読んでいるドストエフスキー『未成年』の図解をネットで調べてみた。 蜘蛛の巣の如く、とんでもない数の線が無数の人物と繋がっている。 未成年でもこんなに複雑なのか、と思った。 僕が思うに、この方のレベルになると小説というものを図で理解していると踏んでいる。 そして、その図を今度は別のものと比較する。 こういう作業を膨大にこなしていると思われる。 骨の折れる作業だ。 だが、僕はこういうことを日々こなしているとしか思えない。

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