メルモ @okusurinokikime 薬「お子さん、粉の抗生剤を飲んだことがありますか?保育園はお昼の薬OKですか?座薬はどうでしょう?ところで体重は以前伺った〇キロから増えてますか?」 父「ぼ、ぼ、僕は病院に連れていけと言われただけなので分かりません!」 がんばれパパ きっと奥さんはこうなる事が分かってて頼んでるんだよ
残念だが、それが真実だろうな。 けれど、本当に恐ろしいのは、 嫌っている、もしくは多数に嫌われている人間に対して「死ね」と思っている事、そのものよりも、 そういう人間に対して「死ね」と思う、そして口にする、という事を、 大した問題じゃないし、そう深い意味もないよ、と本気で思っている人間が結構な数いる、という事だ。 極端な話をすると「ナイフで一寸刻みにしたいというような能動的な殺意を向け」られるのは、まだマシだ。 それは能動的に「自分が」「嫌いだから」「殺したい」という衝動なのだから。 けれど、多くの「嫌っている人間=死ね」は違う。 自分の手や責任と、なんら関わりのない場所で「自分以外の人間の責任や理由によって死ね」と積極的に願っている。 そこには自分自身が「死ね」と口にし、思う事への責任感さえも微塵もない。 虐めがなくならないのは、恐らくこうした”自分は第三者”という人間が原因だ。 虐める
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