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ブックマーク / hms-ulysses.hatenablog.com (2)

  • 2016年夏、台風の影に怯えつつ青ヶ島に行ってきたの記(その3)~島の最高所「大凸部」とカルデラの内側「池之沢地区」の光景 - インターネットあっちこっち

    台風5号の隙を突いて、ここ数年、たびたびネット(あるいははてなブックマーク)で話題になる「青ヶ島」に行ってきた旅行記その3です hms-ulysses.hatenablog.com の続きとなっております。 張り切って 「大凸部(おおとんぶ)」登山 青酎を随分といただいて、ぐっすり眠ってさあ、青ヶ島2日目。1日目に行けなかった青ヶ島最高所(最高峰?)、「大凸部(おおとんぶ)」とカルデラの内側に行く計画を立ててました。当は朝一でご飯いただいてピャッと山登ろうと思っていたんですが 朝、もう台風5号から雲が伸びている感じ。 @ Aogashima-mura, Tokyo, Japan https://t.co/mSJzIj89WX— ゆりしーず (@hms_ulysses) August 6, 2016 絶海の孤島でもプリキュアは映る @ Aogashima-mura, Tokyo, Japa

    2016年夏、台風の影に怯えつつ青ヶ島に行ってきたの記(その3)~島の最高所「大凸部」とカルデラの内側「池之沢地区」の光景 - インターネットあっちこっち
    kaitoster
    kaitoster 2016/09/08
    「江戸時代はみんな住む土地が決まっていて八丈島でも苦労したから50年経っても『還住』を果たせたわけだけれども、いまは、もし噴火で全島避難となった時にどれだけの人がその後戻ってくるのか」
  • 2016年夏、台風の影に怯えつつ青ヶ島に行ってきたの記(その2)~青ヶ島上陸-一晩目まで - インターネットあっちこっち

    台風5号の隙を突いて、ここ数年、たびたびネット(あるいははてなブックマーク)で話題になる「青ヶ島」に行ってきた旅行記その2です hms-ulysses.hatenablog.com の続きとなっております。 ↑にて青ヶ島三宝港に到着後、迎えに来ていただいた宿のご主人の軽ワゴンで宿泊先に向かいます。カメラバック胸に抱えて緊張していた*1ので道中写真撮ってないのですが、三宝港から外輪山を貫いて内カルデラに至る青宝トンネルの狭さ、内カルデラに茂る亜熱帯の植物の雰囲気、そして集落に出るために再び外輪山を貫く平成流し坂トンネル前後の胸を衝くような坂など、そのエキゾチックな情緒に圧倒されていました。 なお、青ヶ島を「インターネットの通じない秘島」みたいに書いているサイトを見かけたんですが、NTT DocomoだとLTEこそ通じていないものの、島の各所で3Gは問題なく通信ができていたことを書き添えておき

    2016年夏、台風の影に怯えつつ青ヶ島に行ってきたの記(その2)~青ヶ島上陸-一晩目まで - インターネットあっちこっち
    kaitoster
    kaitoster 2016/09/08
    『「還住」とは、青ヶ島の内カルデラが江戸時代の天明5年(1785年)に火山活動を活発化させ、島民が八丈島への避難を余儀なくされた後、文政7年(1824年)に帰還して島を復興させた一連の史実』←40年島に住めなかったと
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