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2024年6月29日のブックマーク (5件)

  • 追記)ワーママに育てられた子供はかわいそうなのか

    暇つぶしに見るXでは、よくワーママと専業主婦が争っている。働きながら、あるいは働かずに子どもと向き合った。それが正しかったかどうかは、何十年か経ってみないと分からない。 以下は、平成初期に単身赴任の父+専業主婦からパート、フルタイムを経て自営となった母の間で育った私の事例である。 人の記憶はいつから残っているのか、幼稚園の頃に、母親が自分をおざなりにし始めたな、と感じたのを覚えている。それまで一番に迎えに来てくれていたのに、ある時を境に先生とふたりきりで、最後まで待つようになったからだ。 産まれたときから母親が忙しく、保育園に毎日遅くまで預けられていた妹は、おそらく母と過ごした時間は私より短いが、寂しかったという記憶はないらしい。人は最初からもっていないことよりも、一度手にしていものを手放すほうが辛い。 小学生の頃、学童から帰って、保育園に妹を迎えに行って、ご飯をべて、お風呂に入って、そ

    追記)ワーママに育てられた子供はかわいそうなのか
    kamanobe
    kamanobe 2024/06/29
  • ぐるぐる目の渦原さん / ぐるぐる目の渦原さん - 箕田海道 | サンデーうぇぶり

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    kamanobe
    kamanobe 2024/06/29
    かわいー。完全に『りぼん』。
  • 性急すぎるインターネット導入で、「アマゾン先住民族の日常」は一変した | ネットの使いすぎ、ポルノ視聴…

    マルボ族の近代化を推進した「一家」 ジャバリ・バレー先住民区域は、地球上で最も隔絶された場所の一つだ。ポルトガルに匹敵する広さの熱帯雨林が蒼と広がり、道路はなく、迷路のように入り組んだ水路が張り巡らされている。ジャバリ・バレーに住む26部族のうち、19部族が完全な孤立状態で暮らしている。 その一つであるマルボ族も、かつては外界との接触がなく、何百年もの間、森の中を移動しながら生活していた。19世紀末に天然ゴムの違法伐採業者がやってきたことで、長年にわたる暴力と疫病に見舞われたが、同時に新たな習慣や技術がもたらされもした。 マルボ族は服を着るようになり、なかにはポルトガル語を学ぶ者も出てきた。イノシシ狩りに使う弓矢は銃に、キャッサバ畑を開墾するための鉈(なた)はチェーンソーに持ち替えられた。 この変化をとくに推進した一家があった。セバスチャン・マルボは、1960年代に森の外で暮らしはじめた

    性急すぎるインターネット導入で、「アマゾン先住民族の日常」は一変した | ネットの使いすぎ、ポルノ視聴…
    kamanobe
    kamanobe 2024/06/29
  • 珍しい「モトスマリモ」 全国で発見相次ぐ 東京 大阪 大分で | NHK

    河原で拾った石を入れた水槽から、国内で1例しか報告例がない珍しい「まりも」が出現したと、ことし3月に国立科学博物館が発表したところ、全国から情報が寄せられ、同じ「まりも」が東京や大阪、大分からも相次いで見つかったことが分かりました。 相次いで発見されたのは、まりもの一種で、これまでに国内で2例しか報告例がなかった「モトスマリモ」です。 北海道の阿寒湖などに生息する「マリモ」と富山県などで確認されている「タテヤママリモ」の2種に続く国内3種目としておととし、山梨県内で初めて確認されました。 その後、神奈川県に住む男性が多摩川の河原で拾った石を熱帯魚を飼育する水槽に入れたところ、出現したまりもが2例目の「モトスマリモ」だったことが分かりました。 このことをことし3月、国立科学博物館が発表すると、水槽の中に現れた丸い藻の情報が全国から寄せられ、このうち30件余りについてサンプルを取り寄せて顕微鏡

    珍しい「モトスマリモ」 全国で発見相次ぐ 東京 大阪 大分で | NHK
    kamanobe
    kamanobe 2024/06/29
  • 古本における書き込みの楽しみ|水鳥葛(mizudori kuzu)

    私は読書が好きで、なかでも近代文学が好きだ。 それはもともと自分でを買って読み始めたきっかけが国語の教科書に載っていたような明治・大正・昭和の作家の作品だからで、なぜそれらのを買い始めたかというと、ブックオフに行けば百円で買える文庫が豊富にあるからだった。文庫であれば退屈な授業中に机の下で読んでいても不自然ではないし、教師に訝しげな目を向けられればそっと机の引き出しに流すようにしまってしまえばそれでいい。実に理に適っていた。 それからを読むのが好きになり、文芸雑誌や現代の作家を追いかけて読むようになったかというと、全くそんなことにはならなかった。ひとつには近代文学に慣れ親しみ過ぎたということがある。はじめは巻末の注釈をいちいち確認しながら読み進めていたのが次第にその必要が無くなり、また旧仮名遣いもスムーズに読むことができるようになった。旧漢字も全て読めるわけではないものの文脈から

    古本における書き込みの楽しみ|水鳥葛(mizudori kuzu)
    kamanobe
    kamanobe 2024/06/29