安田浩一 Koichi Yasuda ジャーナリスト 1964年静岡県生まれ。週刊誌、月刊誌記者などを経て2001年よりフリーに。事件、労働問題などを中心に取材・執筆活動を続けている。著書に『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』(光文社新書)、『外国人研修生殺人事件』(七つ森書館)ほか。Twitter ID: @yasudakoichi
クーデターを決意させた映画 「よーめん」(注1)という名前の人気ブロガーとは都内にあるホテルのロビーで会った。人懐っこい笑顔が印象的な男だった。Iという本名は「伏せてほしい」というのが彼の要望だった。 組織として活動をしているわけでもなく、本名も素顔もあまり知られてはいないが、ネット右翼の世界ではかなりの有名人である。ネット右翼勢力を糾合し、武装した親衛隊員を募り、将来的には日本でクーデターを目指そうと訴える彼のブログは一部に熱狂的なファンを持つ。 連れだって入ったラウンジで、彼はさしてあらたまった様子もなく、飄々とした感じで次のように訴えた。 「もう、日本を救うにはクーデターしかないと思いますよ。現政権を転覆させて、極右による軍事政権をつくるんです」 まるで街の活性化計画を打ち明ける商店主のような口調だった。 40代半ばだという「よーめん」は独身。高校卒業後、建設会社勤務を経て現在は健康
無機質な憎悪 米田の話を聞きながら、私は前述した在特会の大分街宣を思い出していた。手馴れた感じの桜井の演説はともかく、マイクを握る会員たちの声や表情から垣間見えたのは、怒りというよりは、得体の知れぬ憎悪のようなものだった。 その日、桜井の次に演説した30代の男性は、次のように声を張り上げた。 「生活保護など、日本人にはなかなか支給されないのに在日だけは優遇されているんです。通名制度だって、在日だけに許されているんですよ。日本人になりすますことができるんです!」 50代と思しき男性も、怒気を含んだ声のアジテーションを披露した。 「これまで朝鮮人は出て行けと言える団体はなかったんですよ。なぜか? 朝鮮総連や韓国民団が怖かったんです。でも、もういい加減にしてほしいと思って立ち上がったのが、我々在特会なんです。みなさん、本当に従軍慰安婦なんて存在したんですか?(「いませ~ん」と、合いの手)いま、こ
「在日特権」とは何か その「行動する保守」の“最大手”が、桜井率いる在特会だ。同会が設立されたのは07年。 「もともとは『2ちゃんねる』などのネット掲示板で、保守的な意識をもって“活動”してきた人たちが集まってできた組織なのです」 そう話すのは同会広報局長の米田隆司(48歳)だ。私は10月半ばに、同会本部のある東京・秋葉原の雑居ビルで米田を取材した。いまは私に「在特会への出入り禁止」を通告しているが、その頃の米田は、クッキーを手土産に部屋を訪ねた私に対し、終始人懐っこい笑顔で接してくれた。 6畳一間ほどの質素な事務所である。すでに夜の10時を過ぎていた。米田は「会社の仕事を終えて急いで来た」と話しながら、額にうっすらと浮かぶ汗を拭った。仕事で疲れているだろうに、無理して取材に応じてくれた米田に、私はいまでも感謝している。 「ウチは専従なんていませんからね、取材を受けるのも、活動するのも、み
2両編成の筑豊電鉄は起点の黒崎駅前駅(北九州市)を出ると、じきに洞海湾に面した工業地帯と並行するように走り、途中で南に大きく逸れて筑豊方面へ向かう。車窓越しに見えるのは低い山並みと住宅地からなる退屈な風景だけだ。無人駅をいくつかやり過ごし、中間市に入ったあたりで下車すると、駅前から延びる緩くて長い坂道の両脇に、戸建の住宅街が広がっていた。かつては炭鉱町として栄えたというが、往時の面影はすでにない。 それでも、薄れゆく採炭地としての記憶を懸命に守ろうとするかのように、唯一この町で存在を誇示しているのが、町はずれにあるボタ山である。長年の風雨によって形をだらしなく崩し、いまや雑木に覆われた小高い丘陵でしかないが、古くから地元に住む人々にとっては“石炭の栄光”を振り返るべく、もっともノスタルジックな場所となっている。 その荒れ果てたボタ山と向き合うように、県立高校の校舎が建っていた。 Tがこの学
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