タグ

ブックマーク / hi.fnshr.info (4)

  • 各国の哲学者・思想家で打線組んだ|Colorless Green Histories

    ギリシャ・ドイツ・フランス・イギリス・アメリカ・インド・中国・日の主要な哲学者や思想家で野球チームを作ってみたとしたらどうなるかについて。 注意書き これは単なるネタなので、真面目に信じないように。 ギリシャ 1(右)ピタゴラス 2(遊)アリストテレス 3(一)プラトン 4(二)ソクラテス 5(左)ヘラクレイトス 6(三)キティオンのゼノン 7(中)アナクシマンドロス 8(捕)パルメニデス 9(投)エレアのゼノン 2番アリストテレスから4番ソクラテスまでの三大哲学者は最強の打線。控え選手も豊富だ。ピッチャーのエレアのゼノンは、止まる矢に着想を得た止まるボールという魔球を投げる。6番キティオンのゼノンはストイックな姿勢が特徴。 アテネの学堂に集まったギリシャチームのメンバー。 ドイツ ニーチェ 1(左)マルクス 2(遊)ライプニッツ 3(一)カント 4(二)ヘーゲル 5(中)フッサール 6

    各国の哲学者・思想家で打線組んだ|Colorless Green Histories
    kamayan
    kamayan 2015/05/02
  • 皇帝の作り方——1985年の中国の片田舎において|Colorless Green Histories

    はじめに 中国は長らく皇帝が統治を行う国家であった。王朝はしばしば代わるものの、皇帝が政治の中心となるということは古来不変であった。しかし、1912年に清朝最後の皇帝である宣統帝(愛新覚羅溥儀)が退位し、中華世界から皇帝はいなくなり [1] 、皇帝による政治は消滅した。 中国での皇帝による政治が終わってから73年後、中国の片田舎である男が皇帝として即位したという。この男の名を曾応竜という。彼は漢の武帝 [2] 、唐の太宗 [3] 、清の乾隆帝 [4] のように広大な範囲を支配したわけではない。彼が支配したのは、片田舎のごくわずかな土地で、それもごくわずかな期間であった。 中国語圏のいくつかのインターネットフォーラムで、この「皇帝」についての話が流布している。曾応竜は1985年に皇帝として即位したという。曾が建てた国の名前は「大有」であり、四川省の片田舎にあったという。県の政府を襲撃したが、

    皇帝の作り方——1985年の中国の片田舎において|Colorless Green Histories
    kamayan
    kamayan 2015/01/24
    側近の馬はマルクス、牛は明末清初の牛金星からとっているんだろうな、とか連想する。1985年はソ連でペレストロイカが始まった年か…
  • 簡単に地図上の広がりを比較できるウェブサービス|Colorless Green Histories

    アメリカの東海岸にあったらどれぐらいの大きさに? 東京の山手線に囲まれた範囲は他の都市ではどれぐらいの範囲に相当する? こうした疑問を簡単に調べられるウェブサービスについて。 概要 東京の山手線に囲まれた範囲は、他の都市だとどれぐらいの範囲に相当するのだろうか? 北海道の端から端は、州で言えばどれぐらい離れているのだろうか? 日アメリカの大きさはどれだけ違うだろうか? MAPfrappeというウェブサイトを使えば、こうした疑問に簡単に答えることができる。 2019年9月16日現在、MAPfrappeは使えなくなってしまっている。Google Maps 利用の料金体系が変わって、今までと同じやり方では多額の費用がかかるため、MAPfrappeを使えなくしたとのことである。【2019年9月16日追記】 このMAPfrappeというウェブサイトにアクセスすると、2枚の地図 [1] が

    kamayan
    kamayan 2015/01/03
  • 18世紀前半の中越間の国境争い――大国がゆずるということ|Colorless Green Histories

    清の雍正帝の治世のころに起こった中国とベトナムとの国境争いについて。大国である中国側がベトナムにゆずったという点が特筆される。 はじめに 2014年5月初旬に、中国が西沙群島 [1] で石油掘削を始めたことから、ベトナムと中国との間の対立がはげしくなっている。西沙群島は、中国の実効支配のもとにあるが、ベトナムも領有権を主張しており、ベトナムは中国の行為に大いに反発している。ベトナムでは大規模な反中国デモが発生し、ベトナムに進出する中国企業には大きな被害が出ている。 両国の領土をめぐる争いは今に始まったことではない。問題となっている西沙群島について言えば、1974年に中国と南ベトナム [2] の間に紛争があり、その戦いの結果、西沙群島の全ての島が中国の支配下に置かれることになった。また、中国とベトナムの間には陸上の国境もあるから、そこでも国境紛争が起きている。例えば、1984年には中国軍がベ

    18世紀前半の中越間の国境争い――大国がゆずるということ|Colorless Green Histories
    kamayan
    kamayan 2014/05/26
  • 1