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ブックマーク / nisinojinnjya.hatenablog.com (2)

  • 神社本庁以外の神社神道の包括団体 - 西野神社 社務日誌

    神社庁がどういった組織であるのか、ということは、今までこのブログでも度々取り上げさせていただきました。神社庁は、全国に鎮座する約8万社の神社を包括する、神社神道系の包括宗教法人としては最大規模の団体であると同時に、仏教系諸教団の中では最大規模とされる創価学会をも上回る、国内最大規模の宗教法人でもあります。しかし、そうはいっても神社庁だけが神社神道の包括団体という訳ではありません。数は少ないながらも、神社庁以外にも、神社神道の包括団体は存在しています。 例えば天理教、金光教、黒住教、御嶽教、大などの大教団は、一般にもよく知られている神道系の教団ですが、今名前を挙げたこれらの教団は、いずれも教派神道に分類される教団であって、神社神道系の教団ではありません。皆さんは、神社庁以外の神社神道の包括団体を御存知でしょうか?今回は、庁以外の神社神道系の包括団体について記させていただきます。

    神社本庁以外の神社神道の包括団体 - 西野神社 社務日誌
    kamayan
    kamayan 2015/01/01
  • 忠を選ぶか孝を選ぶか、平重盛が下した決断 - 西野神社 社務日誌

    今から約830年前の安元3年(1177年)、後世になって「鹿ケ谷の陰謀」と称される事件が京の都で起りました。 当時は平清盛が人臣を極めて天下人として世に君臨し、平家一門は“我が世の春”を謳歌していたのですが、平家の専横を目に余ると常々苦々しく感じておられた後白河法皇の近臣である公卿の藤原成親や僧侶の西光・俊寛らが、同年5月、法皇が鹿ケ谷(現在の京都市左京区)にある俊寛の山荘に御幸した際に、法皇の御前にて平家打倒の計画を密かに話し合ったのです。 ところが、その密議に加わりながらもこの計画はとても成功の見込みがないと早々と見切りをつけた多田行綱(多田源氏の嫡流で源頼盛の長男)が、その密議の後すぐに清盛に面会を申し入れて清盛に直接この謀議を密告した事により、首謀者らは直ちに捕らえられ、西光は処刑され、他の参加者らは配流されました(藤原成親は備前国に配流後殺害されました)。これが、「鹿ケ谷の陰謀」

    忠を選ぶか孝を選ぶか、平重盛が下した決断 - 西野神社 社務日誌
    kamayan
    kamayan 2014/05/23
    平重盛、衣の下の鎧
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