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  • 宮崎市定「雍正帝(ようせいてい)」 - 玄文講

    雍正帝は最良の独裁政治を行い、それゆえに独裁政治の限界を示すことになった中国清王朝の皇帝である。 彼は皇太子たちとの政権闘争の果て1722年に皇帝になると、反目する兄弟に「豚」と「犬」という名を与えて独裁君主となった。 そしてこれより彼の手で清王朝は最盛期を迎える。 宮崎氏に言わせれば、名君として有名な乾隆帝(けんりゅうてい)は先代雍正帝の遺産をいつぶし、グローバル経済に乗り損ねて財政を傾け、官僚の腐敗を許し、後の清朝崩壊の下地を作った凡庸な皇帝に過ぎない。 戦争をせず、贅沢もせず、安定した世の中を作ったせいで、武功も文化事業への貢献もない無名な皇帝として忘れ去られる雍正帝は哀れである。 雍正帝は自分の天命を信じ、少数民族である満州族で大多数の漢民族を統治する困難を自覚し、頽廃が進んだ官僚組織を正し、万民に対する責任をまっとうすることを誓った。 彼がそのために用いたのが独裁政治であった。

    宮崎市定「雍正帝(ようせいてい)」 - 玄文講
    kamayan
    kamayan 2006/12/08
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