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philosophyに関するkamiboのブックマーク (4)

  • 哲学的な何か、あと科学とか

    飲茶な日々 (3日に1度は更新予定の哲学日記) 2008年10月11日 僕の中二病告白 中二病という言葉があるそうです。 ―――――――――――――――――――――― 中二病(ちゅうにびょう)とは日の俗語、スラング。 思春期にありがちな微妙にズレた自意識過剰、 それから転じて起こる数々の「中学二年生くらいの頃に ありがちな言動」を「症状」として比喩したもの。 子供が大人になろうとして、 「大人が好みそうな(と子供が考える)格好いいもの」に興味を持ち、 子供に好かれるようなもの、幼少の頃に好きだった幼稚なものを 否定したりなどする。「もう子供じゃない」「(汚い)大人になりたくない」 という自己矛盾が、実際の大人から見ると非常に「ズレて」おり、 滑稽に見えることが大きな特徴である。 さらに、生死や宇宙について思い悩んでみたり、 政治や社会の汚さを批判してみたり

    哲学的な何か、あと科学とか
  • 世界のイスラム建築

    現在、21世紀の世界の動向を決定する上で 最重要な要素の一つとなっているのが「イスラーム」であるということは、誰もが認めるところでしょう。ところが日では、そのイスラームが 政治や経済やテロの側面からばかり捉えられていて、文化への理解 が おろそかになっているのは、日人にとってもイスラーム諸国にとっても、大きな不幸です。世界の平和をつくるのは、政治や経済面からの敵対意識ではなく、文化を通じての相互理解や共感からであるはずです。そして、偶像崇拝を否定するために 絵画や彫刻や舞台芸術を十分に発達させてこなかったイスラームの文化を代表するのは、建築と庭園 にほかなりません。 こうした欠を補うべく、私はイスラーム諸国の建築の撮影を続け、『イスラーム建築 その魅力と特質』という ビジュアルな概説書を書きましたが、執筆を依頼した彰国社は、最終段階になって 出版を拒否し、それは5年も続いています。これ

  • 悲観主義とオプティミズム - My Life Between Silicon Valley and Japan

    一週間東京に行って帰国したところ。これからしばらく寝たり起きたりで、消耗しきった身体に体力が戻るのを待とう。今年二回目の東京だったが、こちらに戻ってくるとすべてのモードが全く変わって、ブログを書く力もようやく沸いてくる。 ある日、東京で気のおけない親しい友人たちとオプティミズムの話になった。「ウェブ進化論」のオプティミズムを誤解する人が多いね、という話がよく出るが、その日もそんな話になった。オプティミズムとは、生来人間は素晴らしいものなんだから「世の中、ほっておいても何とかなるさ」みたいな呑気でいい加減な考え方とは全く違うものだ。オプティミズムの質を全く理解せぬまま、オプティミズムはけしからんと言う人が多いね、というのは僕もよく思う。 ところで別の友人との集まりで、話がなぜかそちらのほうに流れ、アランの「定義集」の話になった。僕が敬愛してやまない森有正(ぼろぼろになるまで読んだ四冊の)

    悲観主義とオプティミズム - My Life Between Silicon Valley and Japan
  • なぜ人間には人権があるのにくじらにはくじら権がないのですか。 - なぜ人間... - Yahoo!知恵袋

    なぜ人間には人権があるのにくじらにはくじら権がないのですか。 なぜ人間には人権があるのにくじらにはくじら権がないのですか。 人権が認められる根拠を人間の知性に置くのであれば、知的障害者は人権がないことになり、 知的生物であるくじらにはくじら権が認められることになりませんか。 また、人権を人が人であることにより認められる権利と解釈するにしても、21世紀ではその権利の保護の対象をくじらにまで拡げ、人類が絶滅した後の文明の担い手としてのくじらを守ることが要請されているような気がするのです。 この思想をみなさんはどのように思いますか。 補足> e_tischbeinさん 浅学非才の身で 知的障害者の人権が制限されている具体例を思いつきません。 また、貴方の主張はくじらとコミュニケーションが取れる範囲で、また将来科学が発展し、くじらとのコミュニケーションが取れるようになる可能性がある範囲で「制限され

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