「炎上」の中には消せる炎とすべてを焼きつくすまで消えない炎がある。 ミュージシャン・小山田圭吾(52)を襲ったのは後者、まさに〝地獄の業火〟だった。 【写真】小山田圭吾のいとこ・田辺晋太郎氏 発端は1994年1月発行の「ロッキング・オン・ジャパン」と95年8月発行の「クイック・ジャパン」のインタビュー。そこで小山田は同級生を箱に閉じ込めたり、障がいのある生徒をからかったりしたことを悪びれもせず告白していた。 小山田が東京五輪開会式の音楽担当という大役を担うこともあり、ネット上では資質を問う声が殺到。当初は小さな火種だったが、時間の経過とともに延焼し、やがて消火不能な大火となった。 結局、小山田は五輪の仕事から外れることを決断したが、これまでのキャリアを台無しにするほどの大ダメージを負った。 「過去の名声もすべて吹き飛んだ。ここまで焼きつくされたのは『アンジャッシュ』渡部建さん以来。再起?