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よみものとfinalventに関するkana321のブックマーク (2)

  • [書評]イエス・キリストは実在したのか?(レザー・アスラン): 極東ブログ

    2013年に書かれたレザー・アスランの『イエス・キリストは実在したのか?』(参照)という邦題は、現代ではそれだけで日人の知的関心を誘うのではないか。帯に「イスラム教徒による実証研究で全米騒然の大ベストセラー」ともある。そのあたりも興味引かれるところだ。 私は自著にも書いたが、若いときこの分野の学問を学んでいた。歴史的イエスの研究というテーマである。当時、学問的にはすでに歴史的イエス像というのは否定的に解決されていた。否定的というのは概ね歴史的にイエスは存在すると見てよいが、どのような人物であったかは皆目わからないし、その歴史人物像の研究はさしたる意味がないというものだった。 新約聖書学に慣れていない人や、キリスト教信仰者の一部にはこうした見解を受け容れがたく思うかもしれない。私はいろいろ学んだせいもあるがごく普通に受け容れて、すでに自著でも触れたが、その先の研究をしたいと思っていた。アラ

    [書評]イエス・キリストは実在したのか?(レザー・アスラン): 極東ブログ
  • ついでにというか - finalventの日記

    ついでにというくらいの意味しかないけど。 これ⇒「思っていたほど頭がよくなかった」は賢い人が必ず出会う絶望 彼がアドバイスしたのは反吐が出るような自己承認を延命するやり方です。 というのがわからんと言えばわからなん。まあ、わかると言えばわかる。 わかる面からいうと、「対象に反吐が出る」というのは、「僕ちゃんはピカピカ」「あたしはキラキラ」という自己主張。これ、5.15の青年なんかもそうだし、日の近代の病気みたいなものなのな。黒歴史があるからよくわかるけど、その部分では。 で、これ、全然だめなんだよ。 じゃあ、「自己承認を延命」してていいのかよ、というと、他者との境界が明確なら、別に自己承認を延命して90歳を迎えてもいいんですよ。 いきなり質を言うと、だから、問題は、「自己承認」じゃなくて、「他者との境界」というか、調和状況の維持なわけですよ。 だからその、つまんねー元ネタに戻すと、「思

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