人は、歴史とは盤石な確固たるもので、未来はわからないが茫洋(ぼうよう)と広がっているものだと思うかもしれない。だが本当は逆である。歴史は瞬間、瞬間に滅びさる時間に乗ったものだから可滅的なものだ。史料や遺跡や絵画・映像に残るものから再構成するしかない。それはその当時のそれそのものではないから、あくまでもヒューリスティックな(近似値の)ものである。だから現代人の希望や理想が入りこみやすい。これが入りこむと、今に至るまでの経緯と、今の姿がずれてしまうことがある。 マルクス経済史学者の失敗 未来は過去の経緯をはね板のようにして跳ばなければならない。われわれは日々それをしている。だからかえってせま苦しい。はね板の位置と方向性が私たちの足もとを縛るのである。希望は必要である。なければ跳べない。だが理想のほうは、往々にしてこれから先の方向性を誤らせるのである。 前者と後者の実例をあげよう。イギリス資本主