アイドルの写真で、ジャンプした瞬間を撮ったものを見かけることがある。若さが引き立って、被写体が魅力的に感じられる写真だと思う。 そういう写真の撮影シーンを以前テレビで見たことがある。ジャンプのフワッとした感じを強調するためか、トランポリンを使って跳ねていたのだ。 見ていてすごく楽しそう。自分も跳んでみたい。下手に思いついてやってみたら、すごくウザくなった。
大人にとって「10円」と言えば、取るに足らない小銭でしかない。しかし子供の頃を思い出すと、少ない小づかいの中で何を買うか、駄菓子屋で真剣勝負していた覚えがある。 たったの10円。改めて考えると、何が買えるだろうか。いくつか店を回って、10円以下で買える物を探してみた。
「自分へのごほうび」という言葉がある。仕事や勉強などをがんばった自分に、ちょっと奮発して自分で何かプレゼントしよう、といった意味だろう。 若い女性だったらお気に入りのスイーツや、ちょっと高めのアロマといった感じだろうか。自分だったらなんだろう。さすがにスイーツという柄ではないから、寿司や焼肉あたりだろうか。いや、それもいいのだが、できたら普段の自分の生活を少しグレードアップするのがいい。 そう考えて答えが見えた。ソーセージ食べ放題だ。 こんな風に書いていながら、特に最近何かをがんばったわけではない。でも思いついてしまったのだからしょうがない、衝動のおもむくままにしてみよう。 (小野法師丸) ソーセージへの思いあふれて 「自分へのごほうび」という言葉を引き合いに出しつつ、それとは関係なくやりたいというのが本音のところであるソーセージ食べ放題。さらに言ってしまえば、今回やろうとしているのは朝昼
都会の街を歩いていると、自然と目に入ってくるキラキラとしたレストラン。きっと流行りの店なのだろう、若者であふれていて、確かに都会的な魅力はあると思う。 しかし、そんな店とは対極の意味で惹かれる店というのもある。なんだか人んちっぽいな、という店だ。 レストランというよりは、人んち。妙にくつろぎムード。 そうした店は、飲食店の中でも特にうどんを提供する店にどうも多いようだ。そんな人んち感を求めて、うどん屋をめぐってきました。 (小野法師丸) ●うどんを供することと「人んち感」との謎の連携 思い出してみれば、確かにいわゆるレストランとうどん屋とを比べてみると、その店に入ったときの感覚は違うと思う。かしこまらずに落ち着けるのは、やはりうどん屋の方だろう。 提供する食べ物の違いということもあるだろうが、外観からすでに漂わせている雰囲気は異なる。
全国にいくつかある大きな観音さまや大仏さま。特に大仏の方は、奈良や鎌倉といった歴史の長いものもある。 「大仏」というくらいなのだから大きいのが標準である。ただ、その言い方ではおさまり切らない、いわば超巨大仏とでも呼ぶべきものが近年になって建てられている。 中でも茨城県牛久市にある「牛久大仏」は、高さ120mもあり、世界最大とのこと。 うーん、すごそう。ただ、120mと言われてもあまりピンと来ない。そういうわけで実際に見に行ったところ、予想外の感覚にクラクラさせられてきました。 (小野法師丸) ●でかいのかどうかがわからない 世界最大、ちゃんとギネスブックにも登録されているという牛久大仏。ただ、高さ120mとか顔だけで20mとか、スペックだけを聞いてもよくわからない。やはり自分の目で見たい。 そういうわけで、大仏さまに向けて車を走らせる。だんだん近づいていくうちに、窓から見えてきた。
子供の頃、母親が買ってくるおやつ用のお菓子に抱いていた微妙な思い。 お菓子なのだから基本的はうれしいのだが、自分が欲しいものとのずれを感じることも多かった。おまけつきやキャラクター物ではなく、地味な袋菓子が中心のチョイス。 小学校も高学年になると、母が買ってきた服にも同じような気持ちを感じた。謎の色づかいや意味不明の英字。 なんとなく釈然としないままそれを着て登校していたあの頃。大人になった今、お菓子も服も自分で買うが、今回は当時に戻ったつもりで母にチョイスをまかせてみました。 (小野法師丸) ●釈然としない気持ち求めて 母親チョイスの微妙な感じ。そういうものを感じていた頃から20年以上経ったことになるだろうか。改めて書くと相当前のことであるのだが、そんな気がしない不思議さも感じる。
あまりにも身近過ぎて見落とされがちだと思うが、ネジというのは相当にかっこいいものだと思う。 改めて気がついたのは、中学の技術の授業だっただろうか。ググッと回転しながら物と物とをしっかり繋ぎとめる。ドライバーを通して伝わってくる確かな手応えも心地いい。その仕事ぶりがかっこいい。フォルムそのものもいい。いろんな角度から見ていると、気づかないうちに随分時間が経っていることがある。 とがってる、グルグル回る、ビシッと決める。かっこよさの集合体とも言えるネジについて、プロの方に話を伺ってきました。 (小野法師丸) 追記:筆者の認識の間違いで、初出では以下の記事に出てくるネジの価格について誤解が生じるおそれのある部分がありました。追記を補足しました。 そういえばネジってどうやって作るのか ホームセンターに買い物に行くと、目的ではない物についつい見入ってしまうことがある。それは絶対使わないだろうと自分で
完全な満月よりも、満ち足りなさを嘆きつつ欠けた月を愛でる。日本には古来、そういう美的感覚があったと聞く。 普段の生活の中では意識しないが、日本人である私たちの深層心理の中には、今もその感性が息づいているのではないかと思う。日常的に目にする風景の中にも、ふと立ち止まると見えてくる ものがあるはずだ。 例えばそれは、パチンコ屋。特に気に留めるでもない風景も、切り取ってみると私たちに意外な何かを語りかけてくる。今回はそんな 気持ちで、見慣れたその景色と向き合ってみたい。 (小野法師丸) 見切れた街の交差点に立ち止まって 冒頭で日本古来の美的感覚を引き合いに出してしまったが、申し訳ない、今回の記事で伝えたいことはこの一枚で全て言い切ってしまっている。 写真左上の見切れている文字をご覧いただきたい。 欠けた月を愛でるのは完全な状態である満月を意識してのことなのだろうが、今回の記事の場合、本来の完全な
人からかっこいいと思われることは、30年前に諦めた。 毎年バレンタインデーに全然チョコをもらえず傷ついた小学生時代。小4くらいの頃に、自分の中で何かが吹っ切れた。かっこいいとか、もういいわ。 不毛なゲームから降りた小学4年生の自分。あれから30年、雑誌で見かけた「かわいくなるずるい方法」を実践してみる。
印刷媒体やウェブなどで使う、素材集という商品がある。直接素材集を見たことがない人でも、そうと気付かぬうちに素材集の画像を見ているのではないか。 自然や風景など、さまざまなテーマの素材集があるが、中でも気になるのは人物系。いかにもありそうなシーンを切り取ったそれらの写真には、どうも独特の雰囲気がある。 なんとも言えないその感じ。あの雰囲気を再現してみたい。 どうやって?それは自分でやるしかないだろう。心強い仲間も力を貸してくれた。そういうわけで、やってみました。 (小野法師丸) どうせ登るなら高い山の方がいい 素材集の販売形態にはいくつかあるが、一般的なのは画像を収録したCD-ROMの販売というスタイルだろう。今回は素材集のCDを一枚買って、それを真似てみることにしよう。 いろいろなテーマの商品がある中、選んでみたのはこれだ。
インターネット上のフリー百科事典、ウィキペディア。ネットで何か調べ物をすると、検索結果にその言葉のページが上位に出てくることも多いと思う。 個人的によく閲覧するサイトの1つだが、記事のページにときどき「画像提供依頼」なるものが貼られている場合がある。「記事を充実させるために、関係する画像をもっていたらぜひ載せてね」という依頼だ。 ウィキペディアの特徴は、誰でも編集に参加できること。私も利用するだけでなく、手持ちの画像を提供してみたい。
「ウルトラマン」に登場した怪獣に、ジャミラというのがいる。 数ある怪獣の中でも、バルタン星人やゼットンといった有名怪獣に並ぶくらいの知名度があるのではないか。それは登場した回の悲しいストーリーや、特徴的なフォルムによる部分も多いと思う。 しかし、ジャミラが私たちの心に刻まれている理由はそれだけではない。日常生活で自らをジャミラ化した経験のある方も多いはずだ。そう、ジャミラは心を超えて体にも刻まれているのだ。そういうわけで、改めて自らをジャミラ化するとともに、他の人にもジャミラになってもらいました。 (小野法師丸)
以前、このサイトで藤原さんが書いた「ひじおしり探求」という記事があった。ひじを曲げたときにできるおしりのような形をした部分にパンツを履かせるという記事だった。 記事を読みながら。おもしろいと思いつつ、「藤原くんに負けたくない」という気持ちも湧いてきた。 実年齢は三十代半ばに差しかかった私。思春期は遠い昔に終わっているはずだが、心の中で春を思う灯は消えたわけではない。おっさんの本気を藤原に見せてやりたい。 ひじ以外の、尻のようで尻でないもの。そうだ、桃があるじゃないか。そういうわけで、桃にパンツを履かせてみた。 (小野法師丸) ●桃選びの新基準 桃が尻に似ているなんて、改めて言うべきことでもない。人類は桃を最初に見たときから、「ああ、尻に似ているな」と思ったに違いない。 そしてそのことは、当たり前過ぎるがゆえに、誰の口からも語られなくなったのだと思う。今さら「桃ってお尻に似てるよね」と言った
知り合いに、写真写りが悪い女性がいる。 履歴書に貼った写真を見た人々から 「酷すぎる!写真だけで落とされるぞ。」 「よりによってどうしてこんな写真を?!」 と言われるほど、写真写りが悪いそうだ。 私の記憶では、けっこう美人だったイメージがあったのだが、たしかにネット上で何枚か見かけた彼女の写真も、なんだかパッとしないものだった。 なぜ写真写りが悪いのか? いや、そもそも写真写りとは何なのか? 疑問を解決すべく、写真を撮らせてもらおうとアポを取った。 (text by T・斎藤) 写真写りが悪い人 こちらが写真写りが悪い人、城井景季さん。大学時代の知り合いなので、会うのは実に10年ぶりくらいだ。ネットで見た彼女の写真がこんなんばかりだったので、私の記憶にあるイメージもかなり揺らいでいたが、久しぶりに見たらやっぱり美人だった。これは本物の写真写りが悪い人だ。 下の2枚の写真は、「実物は美人です
母親が買ってくるお菓子の定番、ブルボン製品。子供を主たるターゲットとしてはいないそのたたずまいに、せっかく買ってきてくれても今一つうれしくなかった覚えがある。 そう思いつつ、実際食べると手堅くおいしいので満足度は高い。それでも、うっすらと心に漂うのはなんとも言えないモヤモヤ感。あの気持ちの正体はなんな のだろう。 改めてじっくりとブルボン製品を見つめてみよう。そしてそのモヤモヤの根源を明かしてみたい。 (小野法師丸) ルマンドたちの謎を解け ひとくちにブルボンのお菓子と言ってもいろいろある中、今回向き合うのはブルボンのサイトで「袋ビスケット」とカテゴライズされているものとしたい。 このカテゴリーが最もクラシックな雰囲気を漂わせているからだ。 このジャンルには人気の「アルフォート」などもあるが、今回はさらに狙いを絞り、「ルマンド」系の細長菓子を対象とする。
雑誌やテレビでよく見かける「私が作りました」的なシーン。料理人が自分の料理を紹介するような場面だ。あれに憧れる。 演出もあるのだろうが、やっぱりあれはかっこいい。その道に長い期間打ち込んで、しっかりと結果を出しているということがその要因なのだろう。 あれをやりたい。でも、その道に打ち込むというところまでの気持ちはない。どちらかというと、大変なことは巧みに避けていきたいところだ。 ならばあのシーンの形をなぞって、その気になるだけでも味わいたい。そういうわけで、やってみました。 (小野法師丸) あらかじめ伝えておきますが、何も作りません 仕事として自分が作ったものを披露するかっこよさ。「おお、ちゃんとした大人だ」という雰囲気。子供が将来就きたい職業を考えるとき、そういうものに惹かれる場合も多いのではないかと思う。 さまざまな仕事にそういう要素はあると思うが、以前「長ネギのかっこいい持ち方研究」
人は見た目で判断してはいけない、という警句がある。確かにそうだ、その言葉の言いたいことはわかる。 ただ、わかっていてもやっぱり見た目である程度推測してしまうというのも事実。それゆえに、その人の見た目と意外な一面とのギャップに、思わぬ気持ちを感じることがある。 コワモテの人が動物が擦り寄ってきたりするのもそうだろう。怖さとかわいい一面とが一体になり、ちょっと混乱する。 あの感じを再現したい。動物の気をひくために試してみたいものもちょうど入手したので、やってみました。 (小野法師丸) ●もう人間はいいから、ネコにモテたい コワモテになって、動物にモテたい。やろうとしていることを端的に切り取るとくだらなさが一層映えるが、急に動物にモテたいといってもなかなか難しいだろう。 そうだ、ちょうど前から気になっていたものがあったのだ。種々あるハーブの中に、ネコが好んで寄ってくるというものがあるらしいのだ。
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