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日本とnationalismに関するkana321のブックマーク (2)

  • 【正論】東洋学園大学教授・櫻田淳 「対韓温情」姿勢を変えるときだ+(1/4ページ) - MSN産経ニュース

    筆者は、20歳前後の頃、『ジャパニーズ・マインド』(ロバート・C・クリストファー著、徳山二郎訳、講談社、1983年)という書を読んだことがある。それは、80年代に日の経済隆盛を受けて出された多くの「日論」の一つであった。 ≪竹島上陸に見える甘えの構造≫ 書中、若き日の筆者に強い印象を残したのは、「日人のナショナリズムに一旦、火が点(つ)いたら、もはや手が付けられない」という趣旨の記述であった。この書が書かれた頃から30年の時間がたった今、「日人のナショナリズムは、手が付けられない」という往時の観測が正しいのかと問いを発するのは、大事であろう。 特に中国韓国では、政治指導層にせよ一般国民にせよ、日の「ナショナリズム」はどのようなものだとみられているのか。彼らは「怖い」とみているのか、「大したことがない」とみているか。これが今後の東アジア情勢を観察する材料にはなるであろう。 という

  • なされるべきであった事 - Arisanのノート

    天皇訪韓という事柄が、はじめてはっきり提起されたのは、金大中政権の時だったはずである。当時僕は、大統領がこれを提起したのは、日との間に「現実的な」関係を作ろうとする選択をしたということだろうと思った。 つまり、植民地支配をもたらした天皇中心の日の国のあり方は、その被害をまともに受けてきた韓国にとって決して望ましいものではないが、その体質を日が自力で変えるということは、少なくとも当面は望み薄だから、それにこだわって交流を損うよりも、それにはいったん目をつぶって交流を進め、互いに利益を得ると共に、そのなかで日の国の体質も自ずから好い方向に変わってくれれば良い、というような選択をしたのだと受け取ったのである。 つまりは、日に対する「太陽政策」ということだ。 だとするとそれは、植民地支配や歴史認識に関わるような次元をいったんは棚上げにして、経済や文化や、また最近では軍事面の交流だけを進め

    なされるべきであった事 - Arisanのノート
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