ゴキブリホイホイに掛かる虫はもちろんゴキブリであるが、それは仕掛ける場所がゴキブリしかいない屋内であるからではないだろうか。いろいろな虫が生息している山の中に仕掛ければ、もっとバラエティに富んだ虫を捕まえることができるかもしれない。実験してみた。
ゴキブリホイホイに掛かる虫はもちろんゴキブリであるが、それは仕掛ける場所がゴキブリしかいない屋内であるからではないだろうか。いろいろな虫が生息している山の中に仕掛ければ、もっとバラエティに富んだ虫を捕まえることができるかもしれない。実験してみた。
産卵できそうなアカヒアリ(Solenopsis invicta)を物色するメスのタイコバエ (Pseudacteon obtusus) 。(Photograph by Michael Durham, Minden/Corbis) 容赦なく獲物の頭を切り落とす恐ろしいヘッドハンターといっても、昆虫は見た目で判断してはならない。 「Biodiversity Data Journal」誌に今月掲載された最新の研究報告によると、体も小さく一見おとなしそうな熱帯のハエが、子孫を残すためにアリの頭を切って持ち去る習性があることが分かった。 ブラジルとコスタリカの森林に生息する3種のノミバエ(Dohrniphora属)は、これまでほとんど知られていなかった。これらのハエがアギトアリの頭を切り落とす様子を初めてビデオカメラに収めたのは、ロサンゼルス郡自然史博物館の昆虫学の学芸員ブライアン・ブラウン氏率いる
サソリが好きだ。一度野生に暮らす彼らの姿を見てみたいと思っていたが、外国の砂漠やジャングルなどへ出向かなければ叶わないと半ば諦めかけていた。 ところが、なんと日本にもサソリがいるらしいという情報を耳にした。生息地はヤマネコで有名な西表島である。 ぜひ一度お目にかかりたいと上陸したのだが、さすが「東洋のガラパゴス」と称されるだけのことはある。サソリだけでなく様々な生物と対面することができた。 (平坂 寛) 編集部注: 筆者の平坂さんは大学院で生物学を研究しており、専門知識があります。そうでないかたはむやみにサソリに刺されないようにしてください。 野生の楽園、西表島へ 羽田空港から那覇へ約2時間、さらに那覇空港から約1時間かけて石垣空港へ飛び、石垣港からフェリーで1時間波に揺られてようやく西表島に上陸した。 さすがは南の島、第一に海の美しさが目に留まる。薄く緑の乗った澄んだ青がまぶしい。遠くに
ホタルに代表されるように、世の中には光る生き物が何種類かいるけれど、なんと光るミミズというのもいるらしい。その名もホタルミミズ。ホタルイカ、ウミホタルに並ぶ三大ホタルだ。 このホタルミミズ、ちょっと前までは幻のミミズとして扱われていたのだが、最近その探し方が確立され、全国で発見報告が相次ぐようになったらしい。 ということは、もしかしたら私にも光るミミズが見つけられるかもしれない。 ※記事の性質上、ミミズやミミズのウンコばかり出てきますが、ご了承ください。
学名はGoniurellia tridens。ラテン語の語彙がそれほどあるわけではないけれど、見た目の通り、the three-in-oneという意味が学名にあるらしい。発見は今から100年ほど前。アラブ首長国連邦で1910年に発見されたハエで(参考)、透明な翅(羽)(注:参考)の中にアリの模様があるのが特徴。このアリの模様、きれいに6本足に2本の触角を持ち、さらに頭部、胸部、腹部に分かれていて、完璧に昆虫を表現している。[13:53追記 アリではなくJumping Spiderではないかという話もあるようだ] G.tridensは約5000種ほどいるハエ目ミバエ科(tephritidae)のハエの1種で、ミバエ科のハエの多くは、カラフルなカラー/模様を持つことが知られている(参考)。またアラブ首長国連邦にいるミバエ科には、単純なものから複雑なものまで27種類ほどG. tridensのよう
「クモはコーヒーに酔う」という話を聞いた。コーヒーに含まれているカフェインが作用するらしい。 飲むと形状が崩れてぐだぐだな巣を作るというのだ。10年程前にテレビ番組でも紹介された有名な?トリビアだそうな。 この目で、クモが酩酊する様を見てみたい。 コーヒーで一献酌み交したい。あのかっこいいクモと。 注意)ご想像通り、この先はほぼクモの写真に終始しています。苦手な方はご注意下さい。 1975年神奈川県生まれ。毒ライター。 普段は会社勤めをして生計をたてている。 有毒生物や街歩きが好き。つまり商店街とかが有毒生物で埋め尽くされれば一番ユートピア度が高いのではないだろうか。 最近バレンチノ収集を始めました。(動画インタビュー) 前の記事:灯台下暗さ > 個人サイト バレンチノ・エスノグラフィー 小学生の頃、夏休みに母方の実家である伊豆へ帰省し、ゲートボールチームのキャプテンであった祖父の試合によ
いまや他人事のようにおぼろげな記憶なのだが、幼稚園を登園拒否したあげくに転園したことがあります。 毎日のようにある知育っぽいテストが嫌だった。説明を聞いていないからエンゼルフィッシュの形の厚紙を台紙のどこに貼ったらいいかわからず、かといって周りに訊くこともできず、放り出して逃走することもできずに途方に暮れていた。豆まきの絵を描いて先生に持っていくと「建物の外も塗りなさい」といって突っ返されるのも嫌だった。夏服・冬服・合服とやたらにバリエーション豊かな制服も窮屈で嫌いだった(これは今見たらかわいいと思うはず)。ミドリガメに食パンをあげて池の面を油でギトギトにするのが好きだったが、みんなの輪に混じらずにいると先生が横にやってきて、はみだしっ子の心を開かせようといろいろな話をしてくるのが子供心にもきつかった。負担をかけているのを小さいながらビンビン感じた。 もともと親戚の強い推しで通っていた園で
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