と言うより分析偏重、論理偏重と言っても良いかもしれない。久しぶりに昔投稿していた小説サイトを覗いて、過去の自分の作品を観て愕然となった。素人となった今の自分から見て、セミプロに近い実力を誇っていたからだ。もちろん当時はそんなことは微塵も考えておらず、プロなど雲の上、と考える男だった。その時のやり方は、あやふやで歴史物以外はソースを重視せず、要するに感性のタガを外すことによってその隙間から創作物が生まれて来る感覚だった。要するに、表面的なことをことさら論って暴いてゆく思考ではなく、謎を謎のままとして楽しんだり、不可解を気味悪がったりする感情的な脳といってもいい。いつからかなぜこんなに乾燥するようになったのだろうと思い返した。2chで論理武装したり、はてなで論理武装したりする内にそうなっていったような気がする。何も暴いて明確にしてゆくと、そこに感情は失われる。あたかもひろゆきがセックスなんか所