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asahiと歴史に関するkana321のブックマーク (5)

  • 「鼻濁音」来世紀ほぼ消滅? もともと使わない地域も…:朝日新聞デジタル

    語で優しく響く発音とされるガ行の「鼻濁音(びだくおん)」を日常生活で使う人は5人に1人しかおらず、全国的に著しく衰退しつつあることが、国立国語研究所の調査でわかった。来世紀には東北地方でわずかに残るだけとなり、それ以外の地域は消滅する可能性が高いという。 ガギグゲゴには通常の濁音と、息を鼻に抜いてやわらかく発音する鼻濁音がある。たとえば「学校」のガは通常の濁音で、「鏡」のガは鼻濁音で発音する。特にアナウンサーの場合、鼻濁音の発音は欠かせない。ただし、もともと鼻濁音を使わない地域も多い。 ノートルダム清心女子大の尾崎喜光教授(社会言語学)は2010年まで在籍した国語研で09年3月、全国の成人803人を対象に「国民の言語使用と言語意識に関する全国調査」を行い、発音の実態を調べた。この種の全国調査では初めて調査員が回答者の声をICレコーダーで録音し、尾崎さんが分析した。 鼻濁音を含む五つの単

    「鼻濁音」来世紀ほぼ消滅? もともと使わない地域も…:朝日新聞デジタル
  • 大正乙女は隠語好き ビル子=おしゃれな人、スペ=立派:朝日新聞デジタル

    アナウンサー→むやみに告げ口する人、ジャズさん→やかましい人……。大正時代、女学生の間で使われた隠語を紹介する展示会が、愛媛県東温市の高畠華宵(たかばたけかしょう)大正ロマン館で開かれている。学校生活や恋愛、容姿など、その数約300語。今にも通じる当時の女学生の感性がうかがえる。 大正から昭和にかけて挿絵画家として活躍した同県宇和島市生まれの高畠華宵(1888~1966)を知ってもらうきっかけにと企画した。華宵は、ファッション性の高い女性や少年、少女の絵などで人気を得た。今回は、同館が所蔵する月刊誌「少女画報」の1926(大正15)年4月号に「現代女学生隠し言葉辞典」として掲載された内容をパネルにし、華宵の絵とともに展示している。 目立つのは、テンムシ→夢中に試験勉強をする人▽ペット→先生がかわいがる女生徒▽クライマックス→試験問題に出そうな所、など学校関連。恋愛に関しても多く、ナイフ→独

    大正乙女は隠語好き ビル子=おしゃれな人、スペ=立派:朝日新聞デジタル
  • 地震の後には戦争がやってくる 清志郎の言葉、いま響く:朝日新聞デジタル

    地震の後には戦争が――。5年前に亡くなったロックシンガー、忌野清志郎(いまわのきよしろう)さんの文章が、インターネット上で読まれ続けている。作詞家の湯川れい子さんが2年近く前にツイッターなどで紹介したものが、少しずつ広がった。時代を見通すような内容に、湯川さんは「今こそ、多くの人に読んでほしい」という。 文章はこう書かれる。 〈地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる〉 忌野さんのエッセー集「瀕死(ひんし)の双六(すごろく)問屋」の一文だ。2000年ごろ、阪神大震災を思い起こして書かれ、「日国憲法第9条に関して人々はもっと興味を持つべきだ」と題される。 文庫化された07年に、忌野さんは湯川さんへ献。その後の09年、東日大震災の発生を見ぬまま、忌野さんは58歳で亡くなった。 それから3年後。湯川さんが書棚の資料を

    地震の後には戦争がやってくる 清志郎の言葉、いま響く:朝日新聞デジタル
  • 「南京事件、非戦闘員の殺害否定できず」 内閣が答弁書:朝日新聞デジタル

    安倍内閣は24日の閣議で、1937年の南京事件について「旧日軍による南京入城後、非戦闘員の殺害または略奪行為があったことは否定できない」とする答弁書を決定した。新党大地の鈴木貴子衆院議員の質問主意書に答えた。 答弁書は、南京事件の具体的な規模については「様々な議論があることもあり、政府として断定することは困難」としている。 一方、中国が南京大虐殺の記録と従軍慰安婦に関する資料を「世界記憶遺産」として国連教育科学文化機関(ユネスコ)に登録申請したことについては「中国がユネスコの場を政治的に利用しようとしていると受け止めざるを得ず、極めて遺憾」と批判。慰安婦問題に対する認識については「(93年の河野洋平)官房長官談話を継承している」とする2007年の答弁書の内容を踏襲した。

  • 渋谷・東急、天井裏から「玉電」の名残 解体工事で出現:朝日新聞デジタル

    東京・渋谷駅一帯の再開発事業で解体工事が進む東急百貨店東横店東館。老舗が軒を連ねた1階「東横のれん街」の天井板をはがすと美しいアーチ型天井が現れた。かつて路面電車「玉川電気鉄道(通称・玉電〈たまでん〉)」が走っていた名残とみられる。東急関係者も「渋谷発展の歴史を刻む建造物の一部だ」と驚いている。 1934(昭和9)年に開業した東館は昨年3月に閉店し、解体工事中だ。昨秋に「のれん街」と現在も営業中の東急東横店西館をつなぐ通路の天井板をはがすと、地上からの高さ約6メートルのところにアーチ型天井が姿を見せた。 東急広報部によると、37(昭和12)年まで玉電は東横店の1階部分を通り抜けていた。「アーチ型天井の下を玉電が行き交っていたのではないか」

    渋谷・東急、天井裏から「玉電」の名残 解体工事で出現:朝日新聞デジタル
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