こんにちは。本宮貴大です。 今回のテーマは「【天保の改革】なぜ水野忠邦は悪魔外道と呼ばれたのか。」というお話です。 天保の改革でも質素倹約令が出されます。老中を罷免された水野忠邦の屋敷に人々が押し寄せました。彼の‘贅沢禁止令‘は異常で、江戸などの市中にスパイを放ち、庶民の贅沢を徹底的に監視するといういやらしいやり方でした。 さぁ、今回は、江戸三大改革の最後の改革である水野忠邦による天保の改革について述べていきます。 1843年、水野忠邦は老中を罷免されました。噂は、その日のうちに広がり、人々は彼の屋敷へ押しかけ石を投げ、以下のような罵声を浴びせました。 「ざまあ見ろ!この悪魔外道めが!!」 「お前のせいで、商売あがったりだよ。どうしてくれるんだ。」 「お前に公の仕事は向いてない。ニ度と老中には戻ってくるな。」 と散々な言われようです。 騒ぎを聞きつけた江戸町奉行はこれを制止しようとするが、