ブックマーク / motomiyatakahiro.hatenablog.com (110)

  • 日本史を勉強中です。ブログアップまでもうしばらくお待ちください。 - 本宮貴大(もとみやたかひろ)の日記

    こんいちわ。宮貴大です。 いつも購読ありがとうございます。 今、日史を勉強中です。ブログアップまもうしばらくお待ちください。 当に申し訳ないです。

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  • 【中江兆民】自由民権運動に影響を与えた思想家 - 日本史はストーリーで覚える!

    こんにちは。宮貴大です。 今回のテーマは「【中江兆民】自由民権運動に影響を与えた思想家」というお話です。 明治政府は文明開化をスローガンに近代国家樹立のために急速な西洋化を図りました。日の独立を守るには、西洋の文明を取り入れる必要があり、さもないと欧米列強の支配を受けることは必至の事態だったのです。 ところで明治政府は、薩摩・長州の出身者による藩閥政治が行われましたが、建前上は公家出身者と武家出身者による合議制・話し合いが取られていました。しかし、内状は1~2人の独裁政治が行われていました。そこで、1870年代半ばから人々は国会開設と参政権を求めて自由民権運動が繰り広げます。 今回はそんな自由民権運動で自ら思想を形成し、人々にその思想を広げた中江兆民(1847~1901)という人物を紹介します。自由民権運動と言えば、板垣退助をイメージする人が多いと思いますが、兆民も自由民権運動の理論的

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  • 【三国干渉】なぜ日本は急速に軍事力を高めることが出来たのか - 日本史はストーリーで覚える!

    こんにちは。宮貴大です。 今回のテーマは「【三国干渉】なぜ日は急速に軍事力を高めることが出来たのか」というお話です。 今回もストーリーを展開しながら三国干渉についての解説と、日露戦争を起こしたのは日国民だったことについても触れていきたいと思います。 日清戦争によって日が清国から譲り渡された遼東半島は、ロシア、フランス、ドイツによる三国干渉によって清国に返還することになりました。これに日国民は大激怒。政府は感情的になった国民の力を利用して明治維新以来の課題であった富国強兵を一気に達成させようとしました。日露戦争までの10年間の間、日の軍事予算は全体の40%にまで跳ね上がました。 明治時代は、数多くの新聞や雑誌が刊行されるなど、ジャーナリズムが発達した時代でもあります。 徳富蘇峰(とくとみそほう)は、明治から昭和にかけて活躍したジャーナリストです。彼は平民主義の思想家で、井上馨(か

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  • 【自由民権運動3】なぜ「明治14年の政変」が起きたのか【大隈重信】 - 日本史はストーリーで覚える!

    こんにちは。宮貴大です。 今回のテーマは「【自由民権運動3】なぜ「明治14年の政変」が起きたのか【大隈重信】」というお話です。 自由民権運動とは、板垣退助らが中心となって政府に対し、憲法の制定や、参政権、国会の開設を求める政治運動のことです。 今回は自由民権運動の第3回目ということで、その後、民権運動はどうなったのかを解説していきたいと思います。さぁ、国会開設は実現するのでしょうか。(第2回目は以下のリンクから) それまで士族(武士)層中心だった自由民権運動は、やがて豪農層や商工業者にまで拡大しました。これに危機感を持った政府は豪農層や商工業者への懐柔策や弾圧策を講じました。しかし、民権運動は収まることなく拡大を続け、遂に板垣退助を党首とした一大自由主義政党として「自由党結成の盟約」を議決したのでした・・・。 motomiyatakahiro.hatenablog.com 民権運動の拡大

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  • 【自由民権運動2】なぜ民権運動は全国に拡大したのか - 日本史はストーリーで覚える!

    こんにちは。宮貴大です。 今回のテーマは「【自由民権運動2】なぜ民権運動は全国に拡大したのか」というお話です。 自由民権運動とは、板垣退助らが中心となって政府に対し、憲法の制定や、参政権、国会の開設を求める政治運動のことですが、いかにして起きたのでしょうか。今回は自由民権運動の第2回目ということで、なぜ民権運動は全国に拡大したのかを見ていきたいと思います。 それまで士族(武士)層中心だった自由民権運動は、やがて豪農層まで取り込み、運動は全国規模に拡大していきます。(第1回目は以下のリンクから) motomiyatakahiro.hatenablog.com 西南戦争で西郷軍が敗北したことで、士族達は言論による政治活動に専念するようになりました。民権運動には、やがて豪農層も加わり、商工業者にも拡大しました。これに危機感を持った政府は豪農層や商工業者の懐柔策を考えるのでした・・・。 1876

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  • 【殖産興業】ブラック企業!?貧困女工が支えた日本の産業革命 - 日本史はストーリーで覚える!

    こんにちは。宮貴大です。 今回のテーマは「【殖産興業】ブラック企業!?貧困女工が支えた日の産業革命」というお話です。 日の産業革命は、日清戦争の前後で第一次と第二次に分けることが出来ます。産業革命とは、それまで職人が手で作っていたモノを、機械を使ってつくるようになったということですが、それによって安価な製品が大量につくられたことで大量生産大量消費社会に転換していき、その分、人々の生活は豊かになったのです。 第一次産業革命の特徴は、製糸業や紡績業などの軽工業が中心なのに対し、第二次産業革命の特徴は、製鉄所や石炭生産などの重工業が中心であることです。 ということで、今回は明治初期~明治前半に渡って起きた日の第一次産業革命について解説していきたいと思います。前半記事は「産業革命が起きる過程」を、後半記事は「貧困女工の労働条件について」の2部構成になっています。 富国強兵の大前提である殖産

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  • 【大日本帝国憲法】なぜドイツの憲法を手本にしたのか【伊藤博文】 - 日本史はストーリーで覚える!

    こんにちは。宮貴大です。 今回のテーマは「【大日帝国憲法】なぜドイツの憲法を手にしたのか【伊藤博文】」というお話です。 今回は「日はなぜ、ドイツの憲法を手にしたのか」に触れながら、大日帝国憲法が発布されるにいたるまでのストーリーを紹介していこうと思います。 天皇を通じて国会開設を約束した政府は、憲法作成に乗り出します。その際、政府の最大の目的は、「天皇の権限を利用して、人民を支配すること」です。一方、国内では自由民権運動が盛り上がりを見せ、フランス流の自由党、イギリス流の立憲改進党が結成されました。これに対抗するべく政府はドイツの君主制の強い憲法に着目し、その目的を果たそうとしたのです。 幕末の革命で、徳川将軍家から政権を奪った明治政府ですが、彼らは「尊王」という大義名分のもと、倒幕を図りました。彼らが目指したのは、天皇を中心とする国家体制であり、もっと言うと、「天皇の権限を利

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  • 【自由民権運動1】言論で訴える板垣、武力で訴える西郷 - 日本史はストーリーで覚える!

    こんにちは。宮貴大です。 今回のテーマは「【自由民権運動】言論で訴える板垣、武力で訴える西郷」というお話です。 自由民権運動とは、板垣退助らが中心となって政府に対し、憲法の制定や、国会の開設を求める運動のことですが、いかにして起きたのでしょうか。 1868(明治元)年早々に、明治天皇の名前で出した五ヶ条の誓文の中には、今後の政府の方針が発表されました。その第一条目に公議世論の尊重というものがありました。これは、「みんなで議論して、全てはその結果によって行おう」という議会(国会)政治を意味します。政府は発足当初から、議会の開設を約束していたのです。 しかし、実際に成立した明治新政府は、薩摩・長州の出身者である一部の官僚達による独裁政治であり、公議世論を尊重する議会政治とは程遠いものでした。 こうした明治政府の独裁政治に不満を持った士族達は、言論、若しくは、武力によって、政府に異議申し立てを

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  • 【地租改正】明治時代の税制改革をわかりやすく - 日本史はストーリーで覚える!

    こんにちは。宮貴大です。 今回のテーマは「【地租改正】明治時代の税制改革をわかりやすく」というお話です。 「おい、聞いたか。今度よぉ、年貢制度が変わるんだってよ。」 「うそ!?また年貢が上がるのか」 「違うよ。今度は、米じゃなくて、お金で納めろって。しかも、納めるのは藩主様じゃなくて、新しいお上になるらしいぞ。」 「当か?新しいお上さんが、遂に俺達のために改革してくれたんだ。よくわからないけど、お米が手元に残るなら、俺達の生活も楽になるなぁ」 「そうだな。今まで、白米なんて、ろくにえなかったし」 「こりゃぁ、楽しみだ。」 幕末の革命によって、政権は、徳川将軍家から薩摩・長州の出身者による明治政府に代わるという歴史的な政権交代が実現しました。 1868(明治元)年早々に発足した新政府の課題は、「文明開化」、「富国強兵」をスローガンに近代国家を樹立することです。しかし、憲法の制定、議会の

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  • 【日清戦争】勝利した日本が失ったものとは - 日本史はストーリーで覚える!

    こんにちは。宮貴大です。 今回のテーマは「【日清戦争】勝利した日が失ったものとは」というお話です。 日と清は朝鮮をめぐって対立し、1894年、両者は日清戦争に突入しました。 日清戦争の舞台となった国はどこか知っていますか。 「日清戦争」という言葉に惑わされて、日中国、どちらかが戦場になったと思いがちです。日ではないことは確かだから中国ではないか・・・。 確かに、黄海戦線や威海衛開戦など海軍同士は中国沿岸部で衝突しました。 しかし、陸軍が主に清国と衝突したのは朝鮮半島です。 日清戦争とは、日中国の間に位置する朝鮮半島で行われました。 1894年に勃発した日清戦争は結局、8カ月の戦闘の後、日の圧勝で終了します。日清戦争に勝利した日は、何を得て、何を失ったのでしょうか。 日は清国を朝鮮から撤退させ、朝鮮を独立国と認めさせたうえで、清国から遼東(りょうとう)半島、澎湖(ほうこ

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  • 【日清戦争】なぜ日本と清は朝鮮をめぐって対立したのか - 日本史はストーリーで覚える!

    こんにちは。宮貴大です。 今回のテーマは「【日清戦争】なぜ日と清は朝鮮をめぐって対立したのか」というお話です。 日清戦争はなぜ起きたのでしょうか。 日清戦争をテーマにした「漁夫の利」風刺画では、朝鮮と書かれた魚を釣り上げようと日と清国が対立しているところを、横取りをたくらむロシアがじっと見守るというロシアの野心が表現されています。 なぜ、日は朝鮮を支配下にしようと考えたのでしょうか。それについては前回の記事を参照ください。 motomiyatakahiro.hatenablog.com 日と清国は、朝鮮をめぐって激しく対立しました。それが朝鮮半島での甲午農民戦争をきっかけに日清戦争が勃発するのですが、今回は、「なぜ日と清は朝鮮をめぐって対立したのか」を見ていきながら、ストーリーを展開していきたいと思います。 日はとにかく朝鮮を支配下に置くこと目指しました。しかし、日との不平

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  • 【高給取り!?】明治時代のお雇い外国人の皆さん(人文科学編) - 日本史はストーリーで覚える!

    こんにちは。宮貴大です。 今回のテーマは「【高給取り!?】明治時代のお雇い外国人の皆さん(人文科学編)」というお話です。 幕末の革命によって徳川将軍家から政権を奪うことが出来た明治政府の最重要課題は、欧米列強と対等な独立国としての近代国家の建設でした。そこで、明治政府は海外から外国人を雇い入れ、彼らから技術や知識を学ぶことで近代化政策や人材育成を図った。彼らのことを「お雇い外国人」と言います。 「和魂洋才」とは幕末の蘭学者・佐久間象山の言葉ですが、西洋の才(技術)は謙虚に受け入れても、日の魂は決して見失ってはいけないという精神のもと、明治人は、文明開化をスローガンに独立国としての日を実現するために奮闘しました。 ということで、今回も明治時代に来日し、人文科学の分野において活躍したお雇い外国人についてご紹介します。 今回紹介するお雇い外国人は以下の5名です。 語学・思想  フルベッキ(

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  • 【神の見えざる手】リスクとリターンはなぜつり合うのか【アダム・スミス】 - 日本史はストーリーで覚える!

    こんにちは。宮貴大です。 今回のテーマは「【神の見えざる手】リスクとリターンはなぜつり合うのか【アダム・スミス】」というお話です。 18世紀後半、日は江戸時代の中頃、イギリスでは世界に先立って産業革命が起こりました。 産業革命とは、「今まで手で作っていたものを、機械で作る」ということですが、機械を使うことで、大量生産が可能になり、商品をより安い価格で提供出来るようになったのです。その結果、人々の暮らしは便利になり、人口も増加し、寿命も延びるようになっていくのでした。 ところで、資とは何でしょうか。 資とは、モノ(価値)を生み出す元手となるもので、この時代でいえば、土地、工場の建屋、機械設備、従業員などです。資家はこれらを駆使してモノをつくり、利潤を生み出していくのです。こうしたモデルが主流の社会のことを資主義社会と言います。 今回の主人公はアダム・スミス(1723~1790)で

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  • 【高給取り!?】明治時代のお雇い外国人の皆さん(産業技術編) - 日本史はストーリーで覚える!

    こんにちは。宮貴大です。 今回のテーマは「【高給取り!?】明治時代のお雇い外国人の皆さん(産業技術編)」というお話です。 幕末の革命によって徳川将軍家から政権を奪うことが出来た明治政府の最重要課題は、欧米列強と対等な独立国としての近代国家の建設でした。そこで、明治政府は海外から外国人を雇い入れ、彼らから技術や知識を学ぶことで近代化政策や人材育成を図った。彼らのことを「お雇い外国人」と言います。 「和魂洋才」とは幕末の蘭学者・佐久間象山の言葉ですが、西洋の才(技術)は謙虚に受け入れても、日の魂は決して見失ってはいけないという精神のもと、明治人は、文明開化をスローガンに独立国としての日を実現するために奮闘しました。 ということで、今回は明治時代に来日したお雇い外国人についてご紹介します。 今回紹介するお雇い外国人は以下の5名です。 製鉄・造船  ヴェルニー  (フランス) 鉄道     

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  • 【鉄道開通】明治時代の鉄道物語 【エドモント・モレル】 - 日本史はストーリーで覚える!

    こんにちは。宮貴大です。 今回のテーマは「【鉄道開業】明治時代の鉄道物語  【エドモント・モレル】」というお話です。 幕末の革命によって徳川将軍家から薩摩・長州の出身者による明治政府に政権交代しましたが、明治政府の喫緊の課題はとにかく近代国家を樹立することでした。 しかし、憲法の制定、議会の確立、文明開化、富国強兵、産業の勃興など課題は山積みでした。鉄道開通もその1つでした。 明治政府は産業の大動脈である鉄道建設を急いでいました。イギリス人のエドモント・モレルはそんな日の鉄道建設に従事。彼は病に倒れてもなお、鉄道建設を続けました。日初の鉄道は若きイギリス人の命をかけた情熱によって開通したのです。 近代国家樹立のためには経済や流通を活発にすること必須条件です。そのため、明治政府の方針は東京と京都を結ぶ鉄道の開通でした。その先駆けとして新橋~横浜間及び、大阪~神戸の鉄道敷地は喫緊の課題で

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  • 【士族反乱】西南戦争をしかけたのは大久保利通だった!? - 日本史はストーリーで覚える!

    こんにちは。宮貴大です。 今回のテーマは「【士族反乱】西南戦争をしかけたのは大久保利通だった!?」というお話です。 西南戦争といえば、西郷隆盛が不平士族達を率いて出兵した政府に対する反乱ですが、実はこれ、大久保が仕向けた罠だったのです。今回もストーリーを展開しながらその経緯について解説していきます。 武士階級の解体政策を推し進める大久保利通は、1873年、内務卿に就任することで独裁体制を築きあげます。一方の西郷隆盛は郷土・鹿児島で士族達を中心とした独自の政治を行います。中央集権国家を目指す大久保は、地方分権政治を行う西郷を強く警戒します。 幕末の革命によって徳川将軍家から新たに明治政府が誕生しました。しかし、明治政府は目標である近代国家樹立のために多くの課題を抱えていました。武士階級の解体もその1つです。 1869(明治2)年、明治政府は版籍奉還を行います。それに伴い、「武士」という身分

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  • 【政府分裂】なぜ西郷隆盛は征韓論を主張したのか - 日本史はストーリーで覚える!

    こんにちは。宮貴大です。 今回のテーマは「【政府分裂】なぜ西郷隆盛は征韓論を主張したのか」というお話です。 幕末の動乱を経て、明治政府は徳川将軍家から政権を奪うことに成功しました。しかし、明治政府には中央集権国家を築くために多数の課題を抱えていました。東アジアの国々との外交もその1つです。 明治初期の外交課題は、江戸時代の4つの外交窓口の一元化です。江戸時代には「4つの窓口」と呼ばれる外交窓口がありました。オランダは長崎、朝鮮は対馬、琉球は薩摩、蝦夷地(北海道)は松前がそれぞれ外交を担当していました。今後は、これら全てを東京(中央)の政府が担当するのです。すなわち、地方分権の江戸時代から中央集権の明治時代への時代転換を図るのです。 ということで今回は、明治初期の外交問題に触れながら、なぜ西郷隆盛や板垣退助が征韓論を主張したのかを見ていきたいと思います。 清(中国)同様に欧米列強から不平等

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  • 尊王攘夷運動に影響を与えた学問 水戸学とは【吉田松陰】 - 日本史はストーリーで覚える!

    こんにちは。宮貴大です。 今回のテーマは「尊王攘夷運動に影響を与えた学問 水戸学とは【吉田松陰】」というお話です。 幕末になると、天皇を尊ぶ皇国意識と外国の動きを警戒する海防意識が芽生えます。それを背景に水戸学が台頭しました。水戸学とは水戸藩から生まれた学問・思想ですが、いかにして生まれたのでしょうか。 ということで、今回は水戸藩の歴史を見ていきながら、水戸学について紹介いたします。 徳川家康によって水戸藩には尊王思想が信奉されました。2代藩主の徳川光圀は、『大日史』の編纂を開始。幕末になると『大日史』から水戸学が誕生するのでした。 水戸藩の歴史は、江戸幕府が開かれる前の関ヶ原の戦いまで遡ります。 水戸という地は元々、佐竹氏という大名が統治していました。そんな中、1600年の関ヶ原の戦いで東軍総大将・徳川家康から東軍として加勢するよう要求されますが、佐竹義宣(よしのぶ)は中々態度をは

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  • 【学制公布】なぜ明治時代の就学率は急増したのか - 日本史はストーリーで覚える!

    こんにちは。宮貴大です。 今回のテーマは「【学制公布】なぜ明治時代の就学率は急増したのか」というお話です。 江戸時代までは身分制度が強固であり、立身出世はありえませんでした。しかし、明治時代になり、身分制度が撤廃され、四民平等となりました。福沢諭吉は著書『学問のすすめ』で貧富の差は勉強したか否かの違いであると説きます。誰でも立身出世が出来る時代になったことで、当時の若者は奮い立ち、日教育熱が巻き起ったのです。 近代国家を有効に進めるには、国民の知識水準を高めることは必須でした。そこで、政府は、全ての国民は等しく教育受けるべきだとする「国民皆学」を目指した教育制度の充実に力を注ぎます。 その手初めとして政府は、1871(明治4)年、教育行政を担当する文部省を設置します。その翌年、学制が公布されます。これによって、フランス式の教育制度を範とし、全国を8大学区にわけ、それをさらに32中学区

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  • 【文明開化】人々の暮らしはどのように変化したのか - 日本史はストーリーで覚える!

    こんにちは。宮貴大です。 今回のテーマは「【文明開化】人々の暮らしはどのように変化したのか」というお話です。 今回は文明開化を紹介していきたいと思います。 そもそも文明とは何でしょうか。文明とは衣・・住をはじめとした慣習・風俗・学問・思想など人間が文化的な生活をするために必要な様々な要素の集合体のようなものです。 また、文明開化とは「文明」が「開かれた」という意味ですが、それまで鎖国政策によって閉鎖的だった日文化を、西洋を始めとした世界から文化を取り入れることで、近代的な生活水準の実現を目指したのです。文明開化は明治維新が行われているほぼ同時期に始まりました。 ということで、今回は文明開化によって人々の生活はどのように変わったのかを、衣・・住を中心にみていきたいと思います。 戊辰戦争の中、新政府は1868(明治1)年早々、明治天皇の名前で五ヶ条の御誓文で今後の方針を発表しました。

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