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ブックマーク / www.refugee.or.jp (2)

  • 「日本の父」に会いたいと願う子どもたち。「フィリピンの母」の苦悩と誇り|ニッポン複雑紀行

    「フィリピンパブ」の歴史から飛行機で4~5時間の距離にあるフィリピン。この国と日歴史は長い。 豊臣秀吉の時代には両国の間で交易が行われ、江戸時代にはマニラに日人町が形成されていたといわれる。明治時代から戦前にかけて、日政府の主導で日人移民が入植し、マニラ麻の栽培に従事した。戦時中は日軍がフィリピンを占領し、甚大な被害をもたらした。 フィリピン・マニラ市内。経済格差が大きく高層住宅貧困地区が隣り合う。 そして戦後、外国人労働者の受け入れを公に認めてこなかった日が事実上いち早く門戸を開けたのは「エンターテイナー」とよばれるフィリピン人女性たちに対してだった。 高度経済成長を遂げた日は1980年代、歓楽街での人手不足から、フィリピン人の女性たちに対して「興行ビザ」の発給を始めた。興行ビザは芸能やスポーツなどのために来日する人に与えられるビザだ。 女性たちはフィリピンでオー

    「日本の父」に会いたいと願う子どもたち。「フィリピンの母」の苦悩と誇り|ニッポン複雑紀行
    kananote
    kananote 2018/11/02
  • 宮城や福島で炊き出し100回、なぜならそれがジハードだから。被災地でカレーをふるまい続けたムスリムたちの話|ニッポン複雑紀行

    宮城や福島で炊き出し100回、なぜならそれがジハードだから。被災地でカレーをふるまい続けたムスリムたちの話 大塚にある細長いモスク JR大塚駅から徒歩5分ほど、商店街を抜けたところにその小さなモスクはある。「マスジド大塚」だ。「マスジド」とはアラビア語でモスクを意味する言葉。モスクはムスリム(イスラーム教徒)のための礼拝所である。このマスジド大塚が創立されたのは2000年のことだ。 私が初めてこの場所を訪れたのは4年前のこと。持ち金が尽き、泊まる場所がなくなったナイジェリア出身の難民申請者がモスクでお世話になっていたときのことだった。その日は外国から来た難民だけでなく、日人のホームレスの方たちもモスクで寝泊まりしていた。 マスジド大塚。小さなドームとミナレット(尖塔)が目印 モスクというとトルコの「ブルーモスク」のような豪華絢爛なイメージもあるが、マスジド大塚は質素なつくりをしている。横

    宮城や福島で炊き出し100回、なぜならそれがジハードだから。被災地でカレーをふるまい続けたムスリムたちの話|ニッポン複雑紀行
    kananote
    kananote 2017/12/28
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