ブックマーク / amaryllis0525.hatenablog.com (17)

  • シラクーサへ向かう - 想い出はすみれ色

    シチリアno5 二泊したラグーサ郊外のホテルを出発。 ピアッツアーアルメリーナの町は人口約22000名の基礎自治体。 ローマ時代の「カザーレ荘」 3~4世紀に建てられた別荘跡で、約3500㎢の床には北アフリカの モザイク職人により装飾されたモザイクが残っています。 誰の別荘かは不明。 37色の色石で装飾されたモザイク床は12世紀の谷川の反乱によって 土砂の中に埋まっていた為今日まで鮮やかに保たれたそうです。 昼はアグリツーリズモ(田園の中にある畑で採れた野菜等楽しむ) 野菜のラザニア、ポークグリルとソーセージのミックスサラダ、 フルーツサラダ、 「シラクーサ」に移動。 紀元前734年ギリシャのコリントスアルキスが100人余りの 植民団を率いてこの地にやってきて、着々と町を広げて行き、 紀元前5世紀頃には、母市アテネにも匹敵する強国になった。 今は約12万人の基礎自治体。 数学者アルキメデ

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  • ロシアの古都巡り - 想い出はすみれ色

    ロシア no4 2021年7月14日午前8時アメリカの野球オールスター戦が 中継されました。生れて初めて熱心に観戦しました。 今をときめく大谷翔平選手の1番DH兼先発投手を 応援するのもありですが、実は[ブログ21)]で書きました デンバーのクワーズフィールドで開催されているのを 観るのが嬉しかったのです。あの野球場をくまなく 見学したんだと感無量でした。 セルギエフパサードからスズダリへ向かう途中に 交通事故の渋滞があり、元々ロシアは交通渋滞は珍しく無く、 バスの運転手さんはあっちこっちと迂回路に苦労してました。 バスに付いた現地の女性ガイドさんと暇潰しのおしゃべりで、 日常生活とか諸々お話しました。 1991年にソ連からロシアになってから生活様式が大きく変わった そうです。こちらの質問に口ごもる場面が時々ありました。 4時間ぐらいかけてやっと目的地に着きました。 スズダリツアーセンター

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  • モスクワ観光 - 想い出はすみれ色

    ロシア no2 今年のロシアは40度を超える暑さで、泥炭が燃え、 スモッグが発生して大変だとのニュースだったので、 夏物を多めに用意して出かけました。 この度の旅行にはU旅行社ベテランのS添乗員さんが 面倒を見て下さり、解り安い様に冊子を作って下さったので、 それに沿ってメモリーします。 空港を出ると爽やかなモスクワの夜風に当たりました。 スモッグは?暑さは? ホテルルネサンスに到着すると、夜べて寝るだけ。 二日目 目覚めると寒い!13度、話が違うけど。 モスクワ終日観光。 ロシア連邦の首都、人口1200万人、健都960年余、歴代の皇帝が君臨して、 共産主義時代を経て今日に至る。 ○クレムリン  総面積28万㎢、高さ5~19㍍、厚さ3.5~6㍍全長2.2キロ㍍ の城塞中に寺院、宮殿、連邦内閣、武器庫、等が有ります。 ○武器庫   16世紀から武器、鐘、等製造保管する工房だったが 、現在

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  • 休憩 - 想い出はすみれ色

    毎年の様に梅雨時期になると、大変な水害が起こります。 末恐ろしい世の中ですね。 おまけにコロナ禍が収束しないままオリンピックを開催する 無謀な世相に、私達は自分を護らなければなりません。 昨日(5日)二回目のワクチンを接種しました。 今日は腕が痛いのは以前通りですが、熱に弱いのに38・6度 ありまして、1度目よりしんどい思いをしています。 そんな訳で旅行日記をお休みさせて頂きます。 シンガポールの次が、ロシア、アイルランド、シシチリア島 と続きます。 書きながらとっても楽しいのですが、少し休みます。 宜しくお願い申し上げます。 2021年7月6日  現在

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  • ラスベガスへ - 想い出はすみれ色

    デンバーへ出発する成田空港の荷物検査で重量オーバーだと指摘されました。 今まで一度も言われたことが無かったので、すったもんだの挙げ句、 オーバー料金5000円支払いました。 これがしゃくの種で、ラスベガスのカジノで取り返してやる! ラスベガスに向かもう一つの目的になりました。 ネバダ州の砂漠にこの巨大な娯楽施設が作られたと聞くと 吃驚します。 昼は普通に観光気分で買い物したりゆったりした時間を過ごせますが、 夜になると俄然きらびやかに彩られ街全体が躍動します。 どこも同じように素敵な建物で、方向音痴の私は一人では歩けません。 宿泊ホテルの名前は忘れましたが、そのホテルのカジノへは行けます。 着いた日に例の5000円を取り返すべくすぐカジノへ直行。 出来るのはスロットマシンだけですから、色々試して気にいった 機械の前に座りました。 嘘のようですが、すぐ目的は達成しました。それが悪かった。 同

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  • ダナン、フエ、ハノイ - 想い出はすみれ色

    ベトナムの歴史は古くはベトナム王朝が栄えた時代も あったらしいですが、中国、フランス、日アメリカ、と 次々侵略された時期があり、ホーチミンの出現でベトナム統一を 果たしたにも拘わらず、悲惨なベトナム戦争が起きています。 ホーチミン市を抜けると静かな田園風景がみられ、大きいマンゴー を付けた果樹園も広がっています。 ダナンは綺麗なビーチリゾートが広がっていました。 フエは立派なフエ王宮があり、戦争の犠牲には無かったのですね。 ベトナムを代表する「アオザイ」はグエン王朝期から始まり、 正装として着用する民族衣装で、そのアオザイと共に 美しい刺繍が伝統として残っています。 やはりお土産は「アオザイ」と花柄刺繍のテーブルクロスでした。 首都ハノイに入った途端、整然とした街並み風景を観ました。 目的のホーチミン廟の近くまで行くと、尚更ピンと張り詰めた 空気が漂います。 ベトナム革命家ホーチミンベ

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    kanehiro-sakae
    kanehiro-sakae 2021/06/28
    ベトナムは独り歩きをしても、楽しい街ですね。食事も安価に取れるしさっぱりとして日本人の嗜好に合う気がします。歩道を猛スピードでやって来るバイクには閉口しますけど( ;∀;)
  • NO16) ナッシュビル (2002年6月21日~6月28日) - 想い出はすみれ色

    MDRTアニュアルミーティング参加は3年前のニューオリンズ以来です。 組合役員を6月の総会を以て 退任しましたので、気持ちよく参加です。 ナッシュビルの知名度が低いのが原因なのかたった6名の参加でした。 実は私もそんなに期待して居なかったので、今、記憶も定かでなく、 アルバムを見ていても特徴的な思い出が浮かばないのです。 MDRT会場は周囲も凄く開放的な場所で、気温も爽やかだったと思います。 今回もニューヨーク支店からアテンドの方が一人、又やリムジンで 移動出来ました。 今書きながら思い出しました。 私達がリムジンで会場に着いた時、どんな有名人が降りてくるかと 期待したようにS会社の10人位の方が見つめていましたが、 私達が現れたら、イヤーな顔で散って行きました。(申し訳なかった、、) ジャックダニエル酒造所見学は景観の良い場所が気にいりました。 お酒飲まないので知識も少ないのですが、 お

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  • NO15) 二年続きのバリ (2001年7月27日~8月2日) - 想い出はすみれ色

    hi昨年の)昨年の「Fクラブ」研修会の場所をバリに移しての開催が、 評判が良く今年もう一度バリで行うことになりました。 参加者が倍に増えて二十数名と賑やかです。 来の研修課題は逸れて一般社会見学になったとしても、、 誰も異を唱えることなく立派な学習?をするべく出かけました。 この度は「ウブド」を中心に観光です。 森の様に木々が多く田園風景も鮮やかな緑で美しい風景です。 車で運んで貰っては「綺麗!」「素敵!」と感嘆するばかりで そこがどんなところか理解していないのですが、これはすぐ覚えました。 バトゥール山です。バトゥール湖を抱いて横たわるような美しい山ですが、 火山で何回も噴火してるそうです。 所在地がバリ州バンリ県キンターマニ群。 すぐ覚えられました。(笑) 買い物をしている皆と少し離れてぶらぶらしていると学校らしき門を見つけました。 入って見ると教室で子供達の授業風景がありました。

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  • NO14) バリ島へ  (2000年7月27日~8月1日) - 想い出はすみれ色

    ん昨日2021年6月14日 今注目の:コロナワクチン:ファイザー製を打ってきました。 昨夜熱っぽくて検温したら36.8度(平熱は36.2度) 腕は痛くて肩が上がらないし、横向きに寝られない、 いち夜明けて腕の痛いのが残って居ますが、副反応はこれ位。 二回目は7月15日。早く安心な生活に戻りたいです。 さて、バリ旅行にに戻ります。2000年7月27日~8月1日 我が社のMDRT会員の中に、気の合う有志で結成した 「Fクラブ」がありました。私も1996年会員と同時に入会しました。 年に一度会員がそれぞれ自分の在住場所に会場を提供して、 観光がてら情報交換、知識を研鑽する、有意義に運営する会です。 この年初めて海外に場所を移して見ようと会長の案で決まりました。 バリ島に精通した会長のプランについて行くだけでしたが、 「地上最後の楽園」というフレーズがぴったりの素晴らしいとこでした。 参加は12人

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  • bye! ニューヨーク  - 想い出はすみれ色

    前回にブルーノートの写真を載せ忘れていましたのでどうぞ。 NY観光に行く時、賛同してお供をしてくれる友達、 現地で親切に案内役をして下さる方がいてくれて、 当に楽しい幸せな旅を満喫しました。 ツアーでは見れない箇所とか経験をさせて頂きました。 この旅行の翌年テロに遭ったワールドトレードセンターや ホテルの朝を抜いておいでと街のブラックファースト 専門店に案内されたり、ブルーノート、 ブルックリンリバーカフェ、とか。 特筆すべきは某NY支店に案内して頂いた事です。 何故特別かと言いますとその支店が翌年移転されたからです。 高層ビルの何十階か忘れましたが窓から遙か下を見下ろすような 展望でした。今の世では当たり前になっていますが、 2000年のNY近代ビルのドアは全てカード式でした。 トイレに入るのも職員さんのカードを借りました。 シカゴでお会いした6人、ニューオリンズでの2人、 他事務所

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  • 色濃いニューオリンズ - 想い出はすみれ色

    来の旅行目的はMDRTアニュアルミーティングに参加して 世界の同業者たちと同席して研鑽を積む事です。 私達11人の参加チーム員は分を忘れては居ません。! 朝8時から午前中は研修に出かけます。(ほとんど居眠りしてます。) 午後からニューヨーク支店のH君、M君が迎えに来てくれますと 俄然勢いよく観光に出かけるのです。 観光バス以外の交通はリムジンをチャーターしてくれました。 6月16日はチーム員のK子さんのお誕生日です。 晩餐会でお祝いする事になり、皆で乾杯していたら、店のチーフが 即興で作ったらしいケーキを差し入れてくれて大いに盛り上がりました。 K子さん「私未だ58歳よ!」悲鳴のように叫びました。 末期癌を患っていた彼女は今年が最後かもしれないからと、 親友のY子さんに助けて貰いながら参加したのです。 朝早くから夜遅くまで、皆と変わりなく行動されていましたので、 ともすると彼女が病気で

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  • 街中ジャズ! - 想い出はすみれ色

    ニューオリンズと言えば{バーボンストリート} 広い道路の両脇に、ジャズバーを中心にいろいろな店が ぎっしり並んでいます。 昼間は静かな佇まいを魅せて居ますが、夕日が沈む頃になると、 それは街全体が生き返った様な喧噪の街と化します。 ジャズバーはほとんどガラス張りが多く、中でジャズを演奏してるのが 諸に見えて聞こえるので、通りを歩きながらでも楽しめます。 ドアも開けているのでハシゴをやりながら気に入った店へ 腰を落ち着けて聴きました。 道路に出て演奏しているグループもあります。 思い出エピソードなんですが。 昼間のランチのお店で、舞台で演奏しているジャズバンドを携帯で 写真を撮っていたら、バンドリーダーが何やら私に言いました。 アテンドのMくんが通訳してくれたところ、珍しい物持ってるから 見せて欲しいと言ってると。 リーダーは受け取った携帯を高々とあげてMくんに聞いた説明を 場内の人に話しま

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  • ジャズの聖地 - 想い出はすみれ色

    ディキシーランドジャズ発祥の地ニューオリンズ!。 ルイアームストロング(サッチモ)を基幹として 根付いているジャズ音楽に魅せられて幾とせ、、 若い頃は日のジャズ界も活気がありました。 トランペットの南里文雄、クラリネットの鈴木章治など。 特にバンジョーが入るディキシージャズが好きでした。 飛行機から降りた瞬間蒸し暑さを感じました。 ニューオリンズはミシシッピー川沿いの海抜0メートルで 雨が降るとすぐ道路が水浸しになるそうです。 観光の一つにラファイエット墓地がありましたが、 アメリカ合衆国国定史跡に指定されているそうですが、 個々の墓が全て高足台のようになっていて、浸水の土地柄 埋葬が出来ない理由からだと説明を聞きました。 ミシシッピー川下流の「リバーボートジャズクルーズ」は2番のお目当て?です。 大きい船でジャズの生演奏を聴きながら、広大な景観を眺めたり、船の内部を見学したり。 新潟2

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  • NO11) ニューオリンズ序章 (1999年6月12日~19日) - 想い出はすみれ色

    1999年我が社の年間表彰式と組合年大会とも6月初旬に行われます。 MDRTアニュアルミーティングも毎年6月に決まって居ます。 社内では二つの大会が重ならない様に計画されますが、 MDRTはそうは行きません。二年前から決まっているのです。 どうしても調整出来ないのでしょうね。 以前にも書きましたように、組合部役員の任を担ってる私は、 全ての行動は組合活動が優先する。との規則を破り、 昨年シカゴを優先して欠席してしまいました。 その時は書記長は快諾して下さったのでルンルンで出かけました。 今回もルンルンの気持ちでニューオリンズ行きを報告したら、 渋い顔で「規則を守るように!。今回だけにして下さい。」 「スミマセン、ワカリマシタ」 とりあえず承諾を得られればこっちのもの。さあ行こう!! 我が社から11人の参加です。そのうち6人が初参加でしたので、 少し古い私が;班長;に任命されて、一番チビを

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  • NO10) タイランド (1999年3月10日~3月14日) - 想い出はすみれ色

    又々格安の旅行パンフレットを持ち込む友人が居ました。 5万円ぽっきりでかなり好条件らしい、 (当時の貨幣価値が解りませんが、) 持ち込んだ後輩と例の3人組とのタイ行きが決まりました。 タイの首都バンコクには数々のきらびやかな寺院があります。 その昔タイ王国が栄えた時代を象徴するものでしょう。 又象は、共に暮らした深いつながりのある代表的な動物だそうで、 市内でも良く見かけます。乗せてくれるイベントもあり、 象の背中に木枠の桟敷の様に座る場所があり、座らせて貰ったけど すぐ降りちゃった。高所恐怖症は怖い! 何川でしょうか、余り清潔ではない川を船で遊覧するのですが、 川辺にいろんな店がずらり並んでいます。びっくりしたのは クリーニング店で、その川水で洗濯するするそうなんです。 その横の店は棺を売ってました。 果物など一杯積み込んだ舟が私達の舟にぴたりと寄ってきて 押し売り始めました。美味しいか

    NO10) タイランド (1999年3月10日~3月14日) - 想い出はすみれ色
    kanehiro-sakae
    kanehiro-sakae 2021/06/04
    水上マーケットに行かれたんですね(^^♪最近はバーツが高くて1万円があっという間に消えていきます。
  • グランドキャニオンは聖地 - 想い出はすみれ色

    折角のカリフォニアに来ているのだから ハリウッドも見逃せません。旅慣れた諸先輩に金魚の糞の様に ついていくしかありません。豪華な街並みを15人の東洋人が 練り歩く姿を、洒落たブランド洋品店の店員さんはどう見るのでしょうねか。 どういたしまして!彼女達は三々五々各店に入り、思い思いの商品を ロゴ入りの袋を手に出てきました。素晴らしい上客に変身です。 観光より買い物。  女のサガでしょうね。 コロラド川が大地を浸して出来た渓谷、兎に角スケールが大きい。 グランドキャニオンの遊覧飛行は二度としたくありません。 小型の、言わば日の零戦の様な飛行機に前に操縦士二人、後ろに 私とM子さんが乗り込みました。 サウスリムに向かって所要時間40分ですが、 生死をさまよったぐらいの恐怖でした。 渓谷の突風が下から巻き上げて小さな飛行機は木の葉のように揺れます。 T子さんと:きゃー;;降ろして~;死ぬ-;悲

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  • アナハイムの美 - 想い出はすみれ色

    アナハイム会場は諸先輩に連れられて凄い大きな建物の中に 入ります。 5000人は入る大ホールを見て感嘆。周りは全て外人ばかりで 男性が割合的に多く、日では社長さん位の貫禄を持った同業者達です。 朝8時から夕5時迄講習、文科会、等盛りだくさんのイベントがあるのですが、 私達は午前中参加して、午後はロサンジェルス支店から若い職員が、3人ほど アテンドに付いて下さるので、観光に精をを出します。 会場では通訳のイヤフォンを付けて聞きます。。 通訳の弊害は、皆が笑っても5秒ほど遅れて私は、フフン!と小さく笑わねば ならない事です。 アナハイムの街は空気が綺麗と言うか自然の色彩が鮮やかで、物静かな佇まい の当に住み良い街だと思います。 一日皆と別れて、姪のA子ちゃんが住んでる家を訪問しました。 2LDKの平屋で狭い家だけど、庭が広く近所がゆったりして居ます。 アメリカの典型だなと感じました。 カリ

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