3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/06/04(木) 20:08:00.71 ID:Fe5X02K30 ゝ::::´::::::::::::::`:::::ヽ<´;;;`ヽ、 ´::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ\;;;;ヽ、 /::::::::;;/:::,:::::i::::::::::::::::::::::::::::::::::\\;;;ヽ, /:::::::;;/::::/:人i::::::::|::i::::::::::::::::::i::::::::: イ::i ゝ、 /:::::::::/::::/:/ |:::i::::::yi:::::::::::ヘ:::i:::::::::i 〉::i ∠_:/:::::::i:::/レ/ i:::::iヽ:
http://d.hatena.ne.jp/barcarola/20090613/1244917026 度々言及ありがとうございます。 あまり長くならないようにしたいですが、いくつか。 第一に。国家権力の怖さは、直接介入だけでなく、私的権力行使の黙認という形でも実現されます。強制退去だけでなく外国人排斥デモの容認によって。女性に対する権利制限・教育によってだけでなく、私的表現の流通によって。格差問題や公害問題などで、国家による資本管理によってではなく、私企業に対する国家介入の制限によって。ですから、憲法でさえ、「個人を国家から守る」というにとどまらない側面を持っています。 かつて、マッキノンの主張をいろいろ読んだことがありますが(そして、とても賛同はしませんが)、それでもマッキノンへの反論には首をかしげざるをえない、と結論しました。直接介入の危険性が語られるときに、私的権力を通じて実現され
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く