先月(2018年5月26日)、安倍首相は、ロシアのプーチン大統領と21回目の会談を持った。日露の首脳がこれほど会談を重ねるのは、史上初めてだ。なぜ、安倍首相は対露外交にこれほど力を注ぐのか。多くの人が、疑問に思っているのではないか。 その背景には、北方領土の元島民の高齢化や、中国台頭へのけん制の意図もあるだろう。日露平和条約を結び、北方領土の返還を実現すれば、首相の祖父の弟にあたる佐藤栄作が成し遂げた、沖縄返還に匹敵する「レガシー」にもなる。 しかし、そうした打算だけとはいい切れない面もある。本稿は、首相の一族とロシアの深い交わりに着目したい。 岸は首相として、1960年1月19日に日米新安保条約へ調印した。米軍の駐留継続が約束されたこの条約に、ソ連は激しく反発し、北方領土の返還に新たな条件を付けた。 1956年の日ソ共同宣言で約束されていた、歯舞諸島および色丹島の返還は、「日本領土からの