日本人ははっきりものを言わないとか、以心伝心だとか、わびだとかさびだとかいうのだが、それと対照させて、西洋人ははっきりものを言うとか、果ては上司や教師といった目上の人にもはっきりものを言うとかいうことになると、もう完全に勘違いであり幻想である。日本人だってはっきり言う時は言うし、いわんや西洋人だって口を濁すことはしょっちゅうある。 それで、そういう胡散臭い比較文化論がいつごろできたのか調べていたが、恐らくはラフカディオ・ハーンの「日本人の微笑」とか「駅頭にて」あたりから、ルース・ベネディクトをへて、あるところでぽーんと「上司や教師でも」というのが付け加わったのだろう。 先日から目をつけているのが、ハーバート・パッシンという男で、これは文化人類学者だが、日本通とかで、『遠慮と貪欲』とかいう胡散臭い日米比較文化論を1978年に出しているが、ここでは冒頭から、日本人は遠慮がちだが西洋人は違うとい