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ブックマーク / takoashi.air-nifty.com (2)

  • 敬語 - 偉愚庵亭憮録

    敬語についてつらつら考えているうちに、関西弁に行き当たった。 知っている人は知っていると思うが、私は関西の人たちがちょっと苦手だ。関西弁にも若干アレルギーじみた感覚を持っている。 それでも、敬語に関しては、彼らの方が賢い対処法を知っていると思う。 関西の言葉には、伝統の中で熟成された、ニュアンスの豊かさがある。 その点、東京の言葉は、しょせん人工言語だ。地付きの江戸弁を漂白脱色して共通語をひとつでっちあげました、という感じだろうか。 東京の言葉(以下、「共通語」とする。個人的には「標準語」という言い方の方が馴染み深いのだが、最近はあんまり使わないようなので)は、論理を構築するには都合が良い。万事明快で外来語や漢語との相性も良い。翻訳調の生硬な文体ともやりとりができるし、漢文の書き下し文と並べても型崩れしない。つまり、文章語としてはとてもよくできているわけです。 でも、話し言葉としての機能は

    敬語 - 偉愚庵亭憮録
  • グラフィティあれこれ:コメント

    2月2日のエントリ(「グラフィティ」という記事です)のコメント欄に返事を書いたのですが、長くなったので、新しい項目を立てます。 もとより、ほとんどまったくHIPHOP音楽を聴く機会を持たない人間である私のHIPHOP批評は、ごく表面的なものです。 でもまあ、風俗、文化に関する批評は、「断じて表面的であってはならない」というほどのものでもないわけで、別の言い方をするなら、「クリエイティブな制作物は、無責任な聴き手や通りすがりの客が抱く、表面的な印象についても責任を持つべきだ」ということです。 聴きっかりじの客に「なーんかやかましいなあ」と思われたり、畑違いの傍観者に「あの失礼なステージマナーはいただけませんね」と判断されたり、グラビア写真を見ただけの評論家先生に「猿真似」と断じられているのだとしても、それはクリエイターの責任です。なぜなら、商業音楽(←keikeiさんは、商業hiphopとリ

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    kanimaster
    kanimaster 2006/02/08
    コメント欄が熱い。
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