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ブックマーク / weblognote.blog50.fc2.com (11)

  • とあるブログの舞台裏 オフライン環境で記事を書くことのデメリットとメリット

    3月末から4月一杯まで記事を書き溜めてはネカフェなどで放流する更新を繰り返してきた。そこでえた所感を記しておく。みんな当然のことにすぎないが。 デメリット ・ともかくリンクが貼りにくい オフライン環境ではリンク先を参照できないのだから当然URLを調べるのが不可能で、リンクしたいと思いついた記事があっても貼りようがなかった。一部のアドレスだけは記事のテンプレートに含めていたので更新できたが準備不足だった感は否めない。 さらに更新後の記事へ別の記事からリンクを貼る作業もまともにできなくて格復帰してから一挙にやる形になった。読むほうも不便だしSEO的にも不利だ。 そもそもリンクを貼るのにCOPY URL+を使っているのでネカフェの環境では面倒で作業してられない。 ・調べものがしにくい 記事を書いていて連想したことがあっても検索でチョチョイと調べることができない。辞書を引くにしてもマニアックな言

  • とあるブログの舞台裏 大手サイトの定義を考える

    360度の方針転換が大手サイトと呼ばれているのを見かけた。まったくその実感はないのだが、私のブログは大手なのだろうか。そもそも大手サイトってなんだろう。悩みが生まれたので私なりに考えてみた。 ・多くの常連読者をえている もっとも分かりやすい定義。とはいえカウンタの種類や同一IPの処理によって数字は異なる。カウントを公表していない人もいるし、トラフィックエクスチェンジを使っているかもしれない。確実なのはコメント欄が栄えていることだが、コメント欄が空いているから読者が少ないとは言い切れない。 常連というのも重要で一時的に多くの読者をえているサイトは大手とはいえないだろう。 サイトの分野によって変わるがマイナーなテーマで数百以上、メジャーなテーマで数千以上の日平均アクセスをえているのが大手サイトだと見当をつけている。 ・認知度が高い そのサイトの文化圏ではよく知られた存在になっている。わかりやす

  • とあるブログの舞台裏 はてなリングについて思ったこと

    はてなリング、自己登録型のRSSリーダーみたいなものと受けとれば良いのだろうか?ハヤテのごとく!感想リングには前々からお世話になっていたのだが、さいきん興味が沸いたので他のリングにもいろいろなブログを登録してみた。 ものによっては粒揃いで巡ってみるのも面白い。惜しむらくははてなのサービスである関係上、やっぱりはてなダイアリーの登録が多いことだ。視野を一気に広げるには及ばず、山の中腹から見下ろすような感じだ――それでも井の中の蛙にならない役には充分立つ。注目エントリーははてなダイアリーの寡占状態になる恐れがもっと強い。 はてなはユーザーを囲い込む磁力が強すぎて、外からのユーザーを弾く斥力が働き始めていないか?内部で純粋培養されたアイデアが跋扈するようになるとコミュニティとしては末期症状なんだが――心配しすぎか。 どうもSEOに関するリングはないみたいで立てようか迷っている。だいたいひとつのブ

  • とあるブログの舞台裏 わかってないなー、と思わせるニュースサイトからのコメント

    を読むと途端に興醒めになる。はっきしいって私の記事は意味もなく難解になっていることが多々あるので、責任の大部分は自分にあるのだろう。新聞の記事は言葉遊びをしないが、私はむしろそっちが真骨頂。そこに深い自己満足がある。 ニュースサイト別にみると1次リンクをくれるサイトはまず読解を間違えない(反論は的確)。さすがというか培ってきたものが違う。そこから連鎖していく(今これを読んでいるあなたが運営する以外の)ニュースサイトの中にちぐはぐなコメントが生じる余地がある。 原因の第一は私の文章力だとして、第二は当に読んでないことか、第三はネタ元のコメントに影響されすぎていることだろう。 失礼だがニュースサイト運営者さんに聞きたい。 当に自分が紹介する記事を読んでいると確言できますか?(私はできません)重要な部分を独断したら斜め読みですませてませんか?ネタ元にしているニュースサイトの権威によりかかって

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    kanimaster 2006/10/04
    二次ニュースサイトによる誤読。
  • とあるブログの舞台裏 ネタ切れしているブロガーへの辛めの檄

    もう持てるものは出し切った。表現と言いたいことのダムは干上がった、と思っているブロガーさん。おめでとう。 なぜなら干上がったダムの岩盤の下に何が眠っているのか知ることができるのだから。 ここからだ、ここからがおもしろい。全てと思っていたものが一部にすぎないことが分かる。ありとあらゆるものを投じてあがくことで、自分の中が混ぜっ返され、人生の経験がこんこんと湧き出してくる。 自分の無限が信じられる。 そんなこともあるんじゃないかなぁ、とブログをはじめて後少しで1年のブロガーが思ってみる。 しかし、この文章で奮起できるブロガーなら励ます必要もないのではないか。まぁ、自分一人向けになれば良いんだけど、逆に人を追い詰めることがありませんように――反対意見を持ったら無視してください。 それにしても私の限界点はどこに行ったのだろう?とっくに過ぎたような気もするし、まだ全然とどかない気もする。苦しい時期が

    kanimaster
    kanimaster 2006/08/24
    「檄」と「激励」を誤用している例。
  • とあるブログの舞台裏 コメントレスの方が記事より舌が回るわけ

    記事の内容はボロボロのスランプ時でもコメントへのレスなら気の利いた言い回しが思いつくことがある。 何でこんな現象が起こるんだろう。理由は二つ思いつく。 1つめはそもそもの思考の起点が自分の中にないから、そこで躓かずに済むということだ。さらに偏った視点に囚われない新鮮な発想が生まれやすい。 他の記事への反応としての記事が書きやすいのも同じ理由だと思う。 2つめはレスなら読んでもらう人が明確なので、どういう書き方なら理解してもらえそうか想定できるということだ。 不特定の読者を相手にしていると「この文章は通じるんだろうか?」と悩むことがあるが、レスならそれなりに相手の情報があって表現に迷うことが少ない。 また「レスしなくちゃ」というプレッシャーも適度ならプラスに働く。 反面、レスは記事と違って自分の得意分野だけをさらしていればよいとは限らない問題がある。 話題選択の主導権が完全ではないものの運営

    kanimaster
    kanimaster 2006/08/09
    なるほど。
  • とあるブログの舞台裏 親愛よりも信用を

    heartbreaking.:アクセス数の超えられない壁に悩むより、一人の常連を大事にしようを読ませてもらって考えたこと。 >間違っても「だ。である。だが。」等のカタブツな文末表現にしないように。 「だ。である。だが。」の言い回しを使っている人間として反論させていただきたいのである。 記事の内容によっても違うのだが、親密さをアピールする表現も諸刃の剣だ。人間関係の体温が陶しくて突き放した物言いのネットに安らぎを覚える人間もいるのである――少なくとも一人は。 そこそこ知られたサイトなら読者に(自分は運営者を親しく思っているけど、向こうにとって自分は読者の一人にすぎないのだ)と言い回しのギャップゆえに強く感じさせてしまうことや、(自分のような一見は相手にしてくれないんだろうな)と疎外感を感じさせてしまうこともあるのでは。 そもそも常連さんが生じるのは運営者への「親愛」ではなく、運営者が生み出

    kanimaster
    kanimaster 2006/07/18
    僕も、文体(文末)は親密さとは関係ないと思う。
  • とあるブログの舞台裏 私が各記事を書くときに想定する読者

    私がブログに施している工夫が人を集める力は凄くて、同じニュースサイトに紹介されていても、アクセス数もはてブの数もニュースサイト最適化記事の3倍くらいだった。つまりは何度も指摘されてきたタイトルの重要さを実感することになったわけだ。 前者が対象にしているのはブロガーそのもので、後者が対象にしているのはニュースサイトに興味があるサイト運営者なのだから、前者の方が読者の幅が広い。広い対象に記事を書けば多くの人に見てもらえるのは当然だが、私が思うにどれだけ多くの人に見てもらっても伝えたい相手に伝えられなければ空しい。 私が読んでほしいと思う人、伝えたいと思うことはブログごと記事ごとに異なってくる。これを整理してみる。 360度の方針転換~ハヤテのごとく!応援ブログの場合 記事のテーマごとに大きく異なる ・ハヤテのごとく!記事(感想・考察) 想定する読者:ハヤテのごとく!編、単行、畑 健二郎BS

    kanimaster
    kanimaster 2006/05/27
    記事ごとに読者層を想定して書く方法。僕もやってる。
  • とあるブログの舞台裏 ニュースサイトに紹介されることのデメリット

    今までニュースサイトに紹介されることを考えてきたが、紹介されてしまうと以下のような問題が生じるかもしれない。 ・一部の記事でもってサイトの全体とみなされる 木を見て森を見ず。ニュースサイトからやってきた人は紹介された記事しかみない。その記事でサイトの印象が決定してしまう。それが運営者にとって意ではないことがあるし、紹介された種類の記事を書き続けなくてはいけないような心理的圧力を感じてしまう場合もある。 ・紹介されることに依存する危険がある 紹介されてアクセス数が増える。それは嬉しいのだが、すぐにアクセス数は旧に復してしまう。何度か紹介を受けると記事が紹介されないと落ち着かない状態になる人もいるだろう。やる気がそこに集中したり、理不尽な恨みをニュースサイト運営者に抱くことにもなりかねない。 ・多くの訪問者に見られることでプレッシャーを受ける 喜ばしいだけでなく見られることは精神的な重荷にも

  • とあるブログの舞台裏 ニュースサイト運営者に記事を見てもらうためには

    どんなにニュースサイト最適化を施された記事を書き上げたとしても、それを見てもらうことができなければ元の木阿弥。ニュースサイト最適化の目的を達成できない。では、ニュースサイト運営者の視線を自分の記事に集めるにはどうすれば良いのだろう?(やや裏技的な話になるが、良い記事が書けていなければ実行しても価値がないのはサーチエンジン最適化と同じかそれ以上) この記事を読む前に以下の記事を読まれることを推奨。 絶対成功するニュースサイト最適化 導入編 ニュースサイト最適化された記事の条件 ・ニュースサイト運営者のブログや掲示板にコメントする 安直でリスクもある手段だが、直接的な付き合いが生じるなら記事を見てもらえる機会ができる。そのときにニュースサイト最適化された記事が目にとまれば、後はお任せ――というかいつも「後はお任せ」だ。 あからさまな宣伝などは控えるべきだが、そもそも自分の記事をとりあげてほしい

  • とあるブログの舞台裏 ニュースサイト最適化された記事の条件

    今回の記事は「書き方」ではなく「条件」を述べているわけで、読み手には「なるほど」と思えても、書き手には「結局どうしたらいいか分からないよ!」と思えるかもしれない。私にはせいぜい水の透明度をあげるのが限界で、泳ぐ労力は変わらないのだと承知してほしい。 私のおもしろい記事の書き方マニュアルには「マニュアルどおりに書くな」としか載ってないのだ。 さて、ニュースサイト運営者をかわいいウサギさんだとしよう。ニュースサイト最適化を目指すサイト運営者は記事という餌を落とし穴の上に撒き、ウサギさんが餌をべようとして穴に落ちる――リンクするのを望む。 このときの餌――記事にはどういうものが向くのだろう?一般的にウサギさんたちは飽状態で(よほど限定された分野のものを好んでいなければ)餌をよりどりみどりで選択できる立場にある(ただし、視界に入らなければどんなに美味しそうな餌にも飛びつきようがない。次回記事で

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