岩波文庫改版第7刷を購入。 小谷野先生の『リアリズムの擁護』も図書館で借りて準備完了。 洋灯(ランプ)っていつ日本に入ってきたんだろうと思い グーグルさんに聞いている最中に見つけた「ランプ亡国論」。 明治15年辺りにwikipedia:佐田介石さんが唱えた舶来品排斥論(の一つ)らしい。 佐田さんの危惧するものとはだいぶ違うが、 『蒲団』にも「ランプの影響」が表れている。 六畳の室に徒に明らかな洋灯も、かえって侘しさを増すの種であったが、 今は如何に夜更けて帰って来ても、洋灯の下には白い手が巧に編物の針を動かして、 膝の上に色ある毛糸の丸い玉! 境内の処々に立てられた硝子灯は光を放って、その表面の常夜灯という三字がはっきり見える。 この常夜灯という三字、これを見てかれは胸を衝いた。 この三字をかれはかつて深い懊悩を以て見たことはないだろうか。 明かな洋灯の光で見ると、なるほど、白地の浴衣に、
『三四郎』を覆っているテーマ(結婚またはそれに類するものと死)について 昨日書いたので、今日ようやく本題の 「美禰子は三四郎をどう思っていたのか」についての感想を書く。 まず、美禰子がウブな三四郎を誑かし翻弄している、と読めそうな部分を書き出してみる。 美禰子と三四郎、1対1の(またはそれに類する)場面に限定した。 ・6章、美禰子からの絵端書を見る場面 >羊を二匹寐かして、(〜略〜)写したものである。 →迷える子を二匹書いて、その一匹を暗に自分に見立ててくれたのを甚だ嬉しく思った。 ・8章、三四郎が美禰子に金を借りに行く場面 >「とうとういらしった」 →三四郎にはこの一言が非常にうれしく聞こえた。 >「あなたは索引の附いている人の心さえ中てみようとなさらない呑気な方だのに」 ・10章、原口の宿所から二人で帰る際、三四郎が告白した後の場面 >「余り出来方が早いので御驚ろきなさりやしなくって」
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