また仮名遣いの話かよ、と思われるかもしれませんが。 先週の土曜日、山手の方に行ったついでに神奈川近代文学館の「文学の森へ 神奈川と作家たち」展をちょっと覗いてみました。その時僕の目に留まったのが、山本周五郎の自筆原稿でした。 明治生まれの周五郎が歴史的仮名遣いで書いているのは当然で、それがおそらく編集者によってことごとく現代仮名遣いに直されている。たとえば「匂ひい」のように。ところがよく見ると、校正前の周五郎の仮名遣いは 「〜が植はってゐる。」 「彼のはうえにじり寄った。」 「そばえ来た。」 のような調子で、正確には「歴史的仮名遣い」と言えないような独特なものなんですね。いったいこれはどういうことなんでしょう。展示されている原稿や手紙を見る限りでは、彼が現代仮名遣いに改めようとした形跡は見られませんから、新旧二つの仮名遣いの間で混乱したというわけではなく、もともと「そばえ」のような書き方を