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ブックマーク / ryoto.hatenadiary.org (3)

  • 『シェイクスピア最後の夢』フランシス・イェイツ - Where Sweetness and Light Failed

    http://anond.hatelabo.jp/20070304023650 匿名ダイアリーのエントリ(通称「増田」)。なかなか良いこと言うなあと思った。エントリの書き手も芥川も。 空も水も木もただそこにあるだけで何ら意味はない。しかし、人間は空や水や木に物語性を見出すことができる。あの空は自分たちのためにある、あの水は自分たちのためにある、と。旧約聖書を読むと、預言者たちの物語性への強い意志を感じる。例えばイザヤ書(id:ryoto:20080101#p1)。自分の身の回りに起こる出来事を神の意志によって起こったものだとして意味づけ物語(story)としてしまう。 しかし、一方で、そのような物語性を解いていくような思想もある。大乗仏教の仏教者たちはそのような物語性をできるだけ解くように思考する。例えば道元の「畢竟如何」。「結局これが何だというのだ」という問いである。そしてこの問いは「結

    『シェイクスピア最後の夢』フランシス・イェイツ - Where Sweetness and Light Failed
    kanimaster
    kanimaster 2009/05/30
    『文芸的な、余りに文芸的な』
  • ギャツビー - for dust you are and to dust you will return

    原書読解ですが、えーと前言撤回で、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を読んでいます。面白い。ペンギン版で読んでいるのだけど、172ページの中編である。ペンギン版の『チャタレー夫人の恋人』は314ページであり、『ギャツビー』が長編であるという私が持っていた認識は改めなければならないのかもしれない。 ところで、物語のヒロイン、デイジーの魅力のなさはこの中編の一つの特徴である。デイジーはニックの回想の中では魅力的に見える。が、現実のデイジーはトムの凡庸なであり、ギャツビーが心を惹かれる理由も明確ではない。作者が意図的にデイジーを魅力的でない女性に造型したのかどうかは定かではない。ただ、デイジーの凡庸さはこの小説にある響きをもたらしている。それは、虚栄の響きである。グレートな存在であるはずのギャツビーは凡庸なる元カノに心を奪われたままでいることで、そのグレートさが虚構のものでしかないと

    ギャツビー - for dust you are and to dust you will return
    kanimaster
    kanimaster 2009/05/25
    「物語のヒロイン、デイジーの魅力のなさはこの中編の一つの特徴である。」
  • 『灯台へ』という名作 - for dust you are and to dust you will return

    ダルデンヌ兄弟の最新作『ロルナの祈り』を見てきた友人が言っていた。「全編、音楽らしい音楽はないのだけど、最後の方にベートーヴェンの音楽が鳴る。それがとても効果的だった」 ウルフの『灯台へ』は名作である。個人的には20世紀の英語小説の中でもベスト5に入れるべき作品だと思っている。このワーズワースクラシックにして150ページ強ほどの、それほど長くない小説は3部に分かれている。1部ではラムゼイ家の平凡な日常を綴っており、事件らしい事件は起きない。ただ、ラムゼイ家が灯台に向かう様と、個々の人物(とりわけミセス・ラムゼイ)の意識の流れが描かれる。太りすぎを気にするメタボなミスター・ラムゼイ、娘が行き遅れないかどうか心配するミセス・ラムゼイ、絵を描くことを好むリリー、その兄弟のジェームズ、女性を蔑視するインテリのチャールズ・タンズリー……。個々の登場人物は英雄でもなければ悪役でもなく、レオポルド・ブル

    『灯台へ』という名作 - for dust you are and to dust you will return
    kanimaster
    kanimaster 2009/05/25
    ヴァージニア・ウルフ。
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