ワンライ @verytanoshii バイト先の高校生に今学校で何が流行ってるんですか?と聞いたらマジで全然知らない答えが返ってきて改めて自分ってもうおじさんなんだと悲しくなりながら来週クラス会があるというのでそれはどこでやるんですか?と尋ねたら焼き肉の食べ放題ですと言われそれは別に変わらないんだと思って嬉しかった
ワンライ @verytanoshii バイト先の高校生に今学校で何が流行ってるんですか?と聞いたらマジで全然知らない答えが返ってきて改めて自分ってもうおじさんなんだと悲しくなりながら来週クラス会があるというのでそれはどこでやるんですか?と尋ねたら焼き肉の食べ放題ですと言われそれは別に変わらないんだと思って嬉しかった
思いついた順。順番に意味は無い。 ・田舎の道路は舗装されて無いのがあたりまえだった。ごく一部が舗装されていたが、舗装はコンクリートだった。アスファルト舗装はまだほとんど無かった。 ・川にかかる橋はまだ木と土でできていた。わずか数年のうちに、全部コンクリート造りに作り変えられた。その時の橋がまだ現役。 ・石炭がまだ日常的に使われていた。学校の隅の方には石炭を積み上げておく小屋があって、冬は当番の子供がその日のストーブで燃やす石炭を小屋から教室に運んでいた。炭の燃えカスの掃除は先生がやってくれていた気がする。石炭ストーブが石油ストーブに置き換わると、石炭小屋は鶏小屋に改装されて、学校でニワトリを飼っていた。 ・火鉢や七輪がまだ現役だった。火鉢の中では炭を燃やして暖をとっていた。 ・掘りごたつの底は格子状になっていて、その下で炭か何か燃やして暖を取る構造だったが、それは当時すでに廃れていた。電熱
この年に東欧革命が起こって冷戦が終わったので、世界史、特にヨーロッパ史では、この1989年以後が「現代」と見なされている[1]。 東欧革命は、2年後にソビエト連邦崩壊をもたらした。 ―1989年 - Wikipedia 1989年は、元号が平成に変わって、消費税3%が導入されて、中国では天安門事件が起きて、東西ドイツを隔てるベルリンの壁は崩壊して、事実上冷戦が集結した年、みたいだ。覚えてるわけがないのだけど。 ソ連が崩壊するのは2年後の1991年。東西冷戦も社会主義国家も教科書のなかの存在で、物心ついたときには隣の国はソビエト連邦ではなくロシア連邦でした。 資本主義が世界の共通ルールだってことが考えるまでもない事実で、アメリカに対する過剰なあこがれも(たぶん、上の世代と比べたら)なかった。 というより、そもそもあまり海外に目が向かなかった。中国や韓国の存在も、意識した覚えすらない。 「アメ
引用元:生活全般板「昭和の暮らしを語るスレ」 http://life5.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1096999261/ 7 名前:名無しさん@生活サロン板できました[sage]投稿日:04/10/06 04:20:10 ID:zaYJZiGC ガキの頃、カップヌードルが登場した。 母親にねだってひとつだけ買ってもらった。 俺はあの容器にお湯を注ぐのを楽しみにしていたのに、 母親は「そんなことやってラーメンができるわけない」と言い張って 容器をバリバリ破壊して中身を取り出すと鍋にブチ込んだ。 グダグダになったカップヌードルを家族四人で分け合ってすすった。 麺自体はチキンラーメンと似ていたので目新しさはなかった。 それよりも具が入っていたことに驚いた。 さすが高級なラーメンは違うなと感じた。 8 名前:名無しさん@生活サロン板できました[sag
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