タグ

文字と長野に関するkanototoriのブックマーク (2)

  • 信濃毎日新聞[信毎web] 佐久市西近津遺跡群で「美濃国」刻印の須恵器出土

    県埋蔵文化財センター(長野市)は19日、佐久市長土呂の西近津(にしちかつ)遺跡群の出土物から、「美濃国」と刻印された奈良時代の須恵器の破片が見つかったと発表した。「美濃国」の刻印がある須恵器は岐阜県や大阪府など6府県の計55地点(今回を含む)で確認されているが、今回の須恵器は生産窯とされる老洞(おいぼら)古窯跡(こようせき)(岐阜市)から最も北東に位置する。同センターは「美濃国と信濃国など当時の国々の交流や、滋賀県と福島県を結んだ東山道のルートを考える上で貴重な発見」としている。 同センターによると、これまでに県内では飯田市など3市の6遺跡で出土していた。今回の発見は東北信地方では初めて。6府県の中ではこれまで、松市での出土が北限、岡谷市が東限だった。 破片は縦5・6センチ、横7センチ、厚さ1センチで重さ37・5グラム。上部に「濃」の文字と「美」の下端、「国」の右側を表すくぼみがある

  • 麻績清長起請文 :: 紙本墨書生島足島神社文書

    提出者名 麻績勘解由左衛門清長 宛名 吉田左近助殿、浅利右馬助殿 麻績〔おみ〕氏は信州の筑摩郡北部の麻績(東筑摩郡麻績村)の土豪。この地方は安曇・筑摩地方から川中島へ出る要衝〔ようしょう〕にあたり、上杉氏の勢力との接触地域である。天文二十二年ころ武田氏の配下に入った。麻績清長は八月七日と八日、二通の起請文を出している。二通の起請文を比べるとき、信玄の厳しい姿勢が目〔ま〕の当〔あ〕たりに見られるようである。 起請文プレーヤーご利用の方へ 敬白起請文之事 一此以前奉捧数通之誓詞文言、為一字不可致相違之事 一甲・信両州悉御敵申候共、於某者無二無三奉守甲府 御屋形様御前、可抽忠信之事 一自小笠原〔長時カ〕殿・村上義清・長尾輝虎以下之御敵方、 以如何様之所得被申旨候共、不可同意申、并自彼方申 儀大細共ニ無隠可令言上之事 一於信州衆之内、対 甲府様謀叛之企聞及者、 不糺実否、甘利〔昌忠〕方訖〔迄カ〕可

  • 1