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ブックマーク / museum.umic.jp (2)

  • 蘇民将来符 - その信仰と伝承:八日堂蘇民将来符

    蘇民将来符とは、信濃国分寺が1月7日・8日の縁日で参拝者たちに授ける護符のことです。蘇民将来符の頒布習慣は全国各地に伝承されていますが、信濃国分寺の蘇民信仰はとりわけこの習俗の典型例と考えられています。 牛頭天王(牛頭天王とはインドの祇園精舎の守護神)之祭文には、蘇民信仰の起源が祭文の形式で述べられており、その内容から遅くとも室町時代後期には八日堂縁日において、蘇民将来符が頒布されていたと推測されています。 信濃国分寺の八日堂縁日には、大勢の人々が1月7日の午後から8日に参詣に出向きます。この絵から縁日の当日はたいへん混雑する様子が詳しくわかります。境内や沿道ではいろいろなものが売られており、縁日の様子が細かく写実的に描かれています。 このコンテンツは蘇民将来符頒布習俗映像記録制作委員会が制作した『蘇民将来符 願いは永久に』をもとに制作しました。映像アーカイブは内容ごとに19のチャプターに

  • 麻績清長起請文 :: 紙本墨書生島足島神社文書

    提出者名 麻績勘解由左衛門清長 宛名 吉田左近助殿、浅利右馬助殿 麻績〔おみ〕氏は信州の筑摩郡北部の麻績(東筑摩郡麻績村)の土豪。この地方は安曇・筑摩地方から川中島へ出る要衝〔ようしょう〕にあたり、上杉氏の勢力との接触地域である。天文二十二年ころ武田氏の配下に入った。麻績清長は八月七日と八日、二通の起請文を出している。二通の起請文を比べるとき、信玄の厳しい姿勢が目〔ま〕の当〔あ〕たりに見られるようである。 起請文プレーヤーご利用の方へ 敬白起請文之事 一此以前奉捧数通之誓詞文言、為一字不可致相違之事 一甲・信両州悉御敵申候共、於某者無二無三奉守甲府 御屋形様御前、可抽忠信之事 一自小笠原〔長時カ〕殿・村上義清・長尾輝虎以下之御敵方、 以如何様之所得被申旨候共、不可同意申、并自彼方申 儀大細共ニ無隠可令言上之事 一於信州衆之内、対 甲府様謀叛之企聞及者、 不糺実否、甘利〔昌忠〕方訖〔迄カ〕可

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