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語彙と修身に関するkanototoriのブックマーク (8)

  • 残念な「言葉は変化する」おじさん

    語の乱れを指摘すると決まって書かれるコメント。 「言葉は変化する」 したり顔で切り札のように書いてくる。 メガネをクィッと上げながら「幼稚な君たちはわかってないと思うけど」みたいな雰囲気を出してくる。 残念きわまりない。 みんなとっっっっっっっくにわかってるんだよねそんなことは。 わかった上で、「その乱れは変化として許容できるところまで来ているかどうか」とか「現時点で新しい語彙と認めてしまってもよいかどうか」を論じてるんだよね。 裁判にたとえると、みんなが「刑期はどのくらいがいいか、執行猶予をつけるべきか」と話し合ってるところに割り込んできて「有罪だぞ!」と騒いでる人。 言ってることが周回遅れなわけ。もうそのレイヤーの話は終わってるのにね。 きのうは「一番」を「1番」と書いてもよいかが話題になっていた。 いますね、何人か。変化するおじさん。 まったく相手にされず「はいはい(苦笑)」とい

    残念な「言葉は変化する」おじさん
    kanototori
    kanototori 2023/10/02
    古くても新しくても、振りかざす道具にするのは見苦しい
  • 学術機関リポジトリデータベース

    kanototori
    kanototori 2012/08/09
    「個性的」に振る舞うことが「美徳」に祭り上げられて
  • 『させていただきます』っていう言葉がきもちわるい

    『司会を務めさせていただきます』 『発表させていただきます』 『書かせていただきます』 『出版させていただきます』 『販売させていただきます』 『消灯させていただきます』 『発車させていただきます』 『開催させていただきます』 とか、そんなに謙遜してどうするのっていうくらい、オトナのしゃべる語尾に、『させていただきます』が当たり前のようにつくようになって久しい。謙遜というか卑下というか、とにかく自分をおとしめすぎててきもちわるい。これは文法的な話じゃなくて感覚的な話ね。もっとドシッと構えてスマートに振る舞えないのかなってその言葉に触れるたびに思う。 もちろんそれが正しいときもあるよ、『当はダメだったことを許可を得て』させてもらうときとかね。逆にいえば、そういうニュアンスではないときは使わないほうがスマートだと思うの。 それなのに、たとえば電車のアナウンスで『ドアを閉めさせていただきます』

    『させていただきます』っていう言葉がきもちわるい
    kanototori
    kanototori 2011/09/08
    享受者になった途端に偉そうになるような人たちなんだろうな
  • 「夢」のイデオロギー - 高世仁のジャーナルな日々

    きのう、NHKの「プロフェッショナル」という番組を観ていた。ハリウッドでも高く評価されている特殊メイクの江川悦子氏が登場したのだが、キャスターの茂木健一郎氏がこんなことを言った。「人間にとって一番大事なものは、《夢のふくらし粉》だと思うんです。江川さんのふくらし粉って何ですか。」 茂木氏は、世間の常識よりほんの少し高尚な気の利いたことを言う「立ち位置」を期待されている。ということは、今の日では「人は夢を持って生きるのがよいことだ」という常識が成立していると考えてよいだろう。 こんなことを書くと「夢を持つのは素晴らしいに決まっているじゃないか!」と怒鳴られそうだが、ひねくれものなのか、私には、今の世の中に「夢」が氾濫しているように感じられるのだ。 ある晩飲んでいたら、隣のテーブルで、会社帰りのグループがわいわいやっていた。 中年のおじさんが、同じ職場の若い後輩に聞く。 「お前の夢は何だよ」

    「夢」のイデオロギー - 高世仁のジャーナルな日々
  • 中里介山 「峠」という字

    「峠」という字は日の国字である。日にも神代から独得の日文字があったということだが、それは史的確証が無い、人文史上日の文字は、支那から伝えられたものであって、普通それを漢字と云っているが、日で創製した文字もある、片仮名や平仮名はそれであって、寧ろ国字といえば、この仮名文字こそ国字であるが、普通に国字といえば、仮名を称せずして、日製の漢字を謂(い)うのである。 この日製の漢字が、新たに造られたというのは天武天皇の十一年に(昭和十年より千二百四十三年以前)境部(さかいべ)の連石積(むらじいわつみ)等(ら)に命じて新字一部四十四巻を造らしめられたというのが日書紀に記されていることを典拠としなければならぬ。右の新国字の数と種とは、今正確に分類出来ないけれども、新井白石の同文通巻によれば「峠」の如きも、当(まさ)にその時代に造らしめられた国字の一つに相違ない。 来の漢字によれば「峠」

  • 環石館: 人として時間感覚がずれている

    「リア充」という言葉が流通しているらしい。使われ方を見るに、恐らく「リアルの生活で充実している様子、またはそうゆう人」とかそういった意味だろう。この推測を元にこれから話を進めるので、もし「リア充」が「イタリアで今あだち充が大人気」とか「リア・ディゾンの目が充血している」等の全く違う意味を指すのだったらそっと教えてほしい。 さて、わざわざ「リアル」と付けているのだから、リアルでない何か(ここでは「ヴァーチャル」とする)との対立を読み取って欲しいのだろう(「リアルでもヴァーチャルでも充実していない」人との別を期すならば、リアルの語は余計である)。では、リアルとヴァーチャルを分ける物は何だろうか。 つらつら考えて出て来たのが、時間スケールの長短である。即応性を要求されるコミュニケーションの方がより「リアル」と看做されるのではないか。例えば「webサイトの感想を書く」と云う行為は数十分単位で推敲な

  • みやきち日記 - 「そんな言い方誰もしない」と言い張るお子様たち

    まず、以下の小学校国語の問題を読んでみてくださいな。 問題:次の(  )にあてはまるものをア〜エの中から選びなさい。 その問題の解決には(  )が折れた。 彼は(  )が広い男だ。 (  )があいたら、手伝ってください。 (  )を割って話し合おう。 選択肢:ア.腹 イ.顔 ウ.骨 エ.手 塾でこういう問題を小学生にやらせてみると、これはもう壊滅的にできません*1。「手が折れた」だの、「顔を割って話し合おう」だの、おそろしい文章を作りますよ、彼らは。おまけに、慣用句を知らないだけならまだしも、「そんな(『骨が折れる』とか『顔が広い』とか)言い方誰もしないよ!」と文句を言う子がかなりいます。誰もって誰だよ、アンタのクラスの小学生連中か? 小学生はしなくてもおとなはこういう言い方するんだよ。幼稚な表現力の人ばっかりに囲まれて「これが当たり前」と思い込んでいたら、アンタの言語表現は一生幼稚なまま

    みやきち日記 - 「そんな言い方誰もしない」と言い張るお子様たち
    kanototori
    kanototori 2007/01/24
    <一年生の知る言葉だけで話すのは迎合で、一年生は永遠に二年生にならないだろうと>
  • 【こちら編集局です】納税通知は日本語だけ 「外国人住民は何が書いてあるか分からない」|中国新聞デジタル

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