6月4日、東京のアルカデイア市ヶ谷にて、天安門事件25周年記念集会が開催されました。集会は古川郁絵イベントプロデユーサーの司会ではじまり、天安門の犠牲者に黙とうを参加者全員で捧げたのち、石平氏が基調講演を行いました。 石平氏は、今から25年前、純粋な若者たちが、名誉の為でも権力を得たい為でもなく、ただ、中国に自由と人権と民主主義という、人間として当然の権利を実現するために立ち上がったこと、その彼らが無慈悲な弾圧を受けたことを涙ながらに訴えました。 そして石平氏は、現在の中国は、国内の弾圧だけではなく、海上に派遣を求めて侵略を始めており、中国の野望は、東アジア、南アジア、アジアの海を完全に支配する、そして、それに成功すれば、我々アジア人全員が、チベット人や南モンゴル人、ウイグル人と同じ苦しみを味わうことになると述べました。 25年前の天安門で自由を求めて起ち上がり、殺されていった若者たちが逆
古賀の海岸と花鶴浦 かつて白砂青松の景勝地として知られていた古賀の海岸は、黒田氏による砂防政策として宝永3(1701)年と元文3(1738)年に植林されたものでした。 この松林は大正時代まで厳しく守られていました。 市域には花鶴川河口付近に「花鶴浦」と呼ばれた漁村が一ヶ所だけ存在しました。 しかし、砂丘に展開する河口を利用した港は良港とは呼べず、明暦4(1658)年に港としての機能を返上、漁業権と海上交通に関する賦役は新宮浦と福間浦に分け与えられました。 近代の水利事業 農民にとって、毎年の米の作柄は非常に重要でありました。市域に見られる多くのため池は、江戸時代に造営されたものも少なくありません。 また清瀧仕掛水など用水路の開削は、費用と水利権が絡み簡単には行なえない大事業でした。 天候不順の際には各地の神社仏閣で祈祷が行なわれており、神社にはそのとき奉納された絵馬などが残されています。
【廿日市市大野】廿日市市が開会中の定例会に、JR大野浦駅に南北自由通路を新設するための工事委託契約締結案を上程している。24日の最終日で採決し可決されれば、JR西日本広島支社と協定を結び、今年度中に詳細設計をする。自由通路に合わせ関連する市道も拡幅するなど、2017(平成29)年度末までの完了を目指している。 自由通路は、JR山陽本線をまたぎ総延長約72m・幅3m(階段部分2・5m)で、北口と南口を結ぶ。計画では平成27年度から二年かけ、自由通路と合わせ北口・南口にそれぞれエレベーター1基、南口側には公衆トイレを整備する。外観は、大野瀬戸の山と海をイメージした山の稜線や波の動きをデザインし、開放感のあるガラスカーテンウオールを採用。色彩は汚れが目立たず、周辺との調和を図ったグレー系統を計画している。さらに同年度ー同29年度の三カ年かけて、北口周辺にある市道の歩道(長さ50m・幅員1・5m)
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