三島は旧会津藩士を集め、授産金をエサに御用政党・帝政党を作らせて自由党の対抗勢力とした。(M15/06) 帝政党員は、自由党員や道路建設に非協力的な住民を脅迫や暴力で締め上げ、警察はそれを黙認した。 その理不尽さを見かねて裁判を起こすよう進言した検事がいたが、三島は彼を県外に転属させた。 こうして三島に表立って反対する者は次第にいなくなり、河野広中らに有罪判決が出ると 役目を終えた会津帝政党は解散した。 会津三方道路の工事では更に過酷な負担を課した。 労役に応じられない者は金銭で支払うことになっていたが、 それもできない場合は家財を没収し競売にかけた。 没収の対象は畳や鍋、茶碗にまで及んだだめ、 激しい反対運動が起こった(喜多方事件) また、それを利用して自由民権運動を更に弾圧した(福島事件) 旧国道121号線・非道隧道 [2004.11] 満足な現地測量もせずに着工、という無謀な