男女別姓論者に「別姓を認めないのは江戸時代の儒教の男尊女卑の考えの名残でけしからん」と言われてたまげたことがある。 儒教文明圏の中国・韓国は今も男女別姓だ。儒教的な考えでは男女がそれぞれ自分の家の姓を名乗るのが当然のことなのだ。韓国人の友人は、韓国では別姓であるが日本と比べ物にならないほど嫁の立場は弱いと語っていた。嫁が嫁ぎ先と同姓か別姓かのどちらであるかということと、嫁が一人の人格として尊重されるかどうかということには、何の関係もないように思う。そんなことは、それぞれの家によって異なる問題だろう。 同様の儒教文明圏の日本でも、夫の姓名をはっきり名乗らなければならなくなったのは、明治三十一年に民法が公布されてからだ。そもそも、明治三年の太政官布告「自今平民苗字被差許候事」までは、日本人の大半には苗字すらなかったのである(勝手に名乗っている者や、商人の屋号のようなものはあったけれども)。
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