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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/yaasanarchaeologue (4)

  • 聖武天皇東国行幸都市サミット-1 東国行幸の謎に迫るの条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 聖武天皇東国行幸都市サミットに出かけてみようと思ったら・・・ (こんな冊子ができました。余分がありませんので当日中になくなると思います。参加できない方のために少し内容をご紹介していきます) 今回のシンポジウムでは近年の発掘調査によって明らかになった河口、赤坂、朝明、石占、禾津の頓宮及びその出発点となった平城京、到着点となった恭仁京の発掘調査に関わる関係教育・研究機関からパネラーをお呼びし、聖武東国行幸の謎に迫ろうと考えています。既にこの様に立派な資料集も刷り上がり開会を待つばかりですが、その内容の一部をご紹介しておきたいと思います。 第1回は私の拙文による全体像の提示です。 (総カラー24頁の資料集です。) 聖武東国行幸の謎に迫る  山中 章 天平十二(740)年十月二十

    聖武天皇東国行幸都市サミット-1 東国行幸の謎に迫るの条 - yaaさんの宮都研究
  • 藤原宮の幢立て跡-1 :久しぶりに宮都らしい話題を書きました - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 宮都研究も怠る事なかれ!! 先月末に奈良文化財研究所が発掘調査している大極殿前の状況を見学に行ってきました。事前に見学をお願いしていたので、研究所のTさんにとても丁寧にご解説頂きました。有り難うございました。 (新聞にもこんな感じで二度にわたって掲載されました。上が幡立て施設を伝える記事です。下が運河跡発見の記事です。) しばらく悪戦苦闘していた原稿が先週末で完了し、少しゆとりができたので久しぶりに宮都の話題をご紹介します。残念ながら現地説明会には行けませんでしたので、パンフレットはご紹介できませんが、奈良文化財研究所のホームページに掲載されているのでそちらから入手して下さい。 以下にスライドショウーをセットしておきます。全体の流れはこれで見て下さい。まだスライドショーの

    藤原宮の幢立て跡-1 :久しぶりに宮都らしい話題を書きました - yaaさんの宮都研究
  • 「慰労詔書」に桓武朝の画期をみるの条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 慰労詔書を勉強してみなくては、と思ったら よろしくお願いします。 『延喜式』もっと勉強しろ!という激励を受けて??早速慰労詔書の研究状況を確認しました。当にお恥ずかしい限りですが、あるはあるは山ほどあることが解りました。そしてもっとお恥ずかしいことに自分でその論文の載る雑誌を持っていたのであります。 『延喜式研究第10号』(延喜式研究会1995年3月15日)であります。 丸山裕美子「慰労詔書・論事勅書の受容について」という論文がありました。済みません丸山さん。いかに日頃勉強していないか、雑誌を取っていても積ん読だけかが露呈しました。 早速読みました。するとその引用に中野高行「慰労詔書の「結語」の変遷について」(『史学』55-11985年)という、そのものズバリの論文のあ

    「慰労詔書」に桓武朝の画期をみるの条 - yaaさんの宮都研究
  • 高橋さんとの思い出-3  木簡研究への道の条 - yaaさんの宮都研究

    考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。 ここをクリックしてランキング登録にご協力下さいよろしくお願いします。 私は長岡京研究を振り返る時いつも、中山修一先生が長岡京研究の創始者だとすれば、浪貝毅さんがその継承者、そして高橋美久二さんが発展者だと位置づけている。この三人の偉大な研究者なくして今日の長岡京研究はあり得なかった。 中でも今日の科学的研究の基礎を築いたのは紛れもなく高橋美久二さんだと確信している。 私が強く思う高橋さんの最も大きな功績は、誰にもまねのできない全体像を確実に描いた上での構想力だ。戦略があるというとどこか堅苦しいが、研究者には数少ない正確な洞察力に基づく戦略と戦術の明確な方だったと思う。その俎上に乗せていただいたのが長岡京だった。 まず、長岡京全体の調査を全て再点検され、年代順に並べられて、

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