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g建興に関するkanototoriのブックマーク (4)

  • 東アジア歴史文化論特論(11/06/16) | 関尾史郎のブログ

    社会人大学院生のHさんと,毎週木曜日の5限に,李成市先生の著作を読んでいる. 倭王の卑弥呼が239年に魏から授けられた親魏倭王の称号は,『三国志』巻3明帝紀太和3(229)年12月条に, 癸卯,大月氏王波調遣使奉献,以調為親魏大月氏王. とある,大月氏の波調すなわちクシャン朝のヴァースデーヴァが229年に授与された親魏大月氏王に匹敵するものであり,これらの事例を魏王朝の対外政略の中に位置づけなければならないと主張したのは,故西嶋定生氏であった. 西嶋氏は,魏志倭人伝に,倭国の位置について,会稽・東冶の東に在ると記されていることに注意を喚起するとともに,大月氏については,その2年前に涼州の諸国王が蜀に遣使して,討魏の際には先駆となることを申し出ている事実を重視する.つまり倭国は対呉政策にとって,大月氏は対蜀政策にとって,きわめて重要な存在として認識されていたとし,遠夷来朝といったような牧歌的

    東アジア歴史文化論特論(11/06/16) | 関尾史郎のブログ
  • 楼蘭出土李伯尺牘稿と顔真卿祭姪文稿

    楼蘭出土李柏尺牘稿(りはくせきとくこう)(李伯文書) 楼蘭出土李柏尺牘稿は、かなり前から、不思議に思っていた書である。 集字聖教序の字体とかなり違うにもかかわらず、李柏尺牘稿は、集字聖教序を臨書しているのとほとんど変わらない指使いを求められる。ただ、起筆、終筆部の無造作ともいってよい書き方はどうして真似をしたらよいか分からない。 それにしても、字体に隷書の雰囲気が残り、新鮮に映る。王羲之で象徴される用筆とほぼ同じ指使いを求められるのであれば、端正にも書けるはずである。なぜ、端正に書かないのか。 1909年、楼蘭(ローラン)遺跡で、西願寺中国西域探検隊(大谷探検隊)が、発掘し日に持ち帰ったもの。一般に「李柏文書」と呼ばれている。掲載したものは2通の首尾完存した文書の内、全体的に太く書かれた方。李伯尺牘稿は紙に書かれている。紙の縦の長さは漢代の一尺相当であり、当時の木簡の長さと同じ。書用の

  • 高句麗長寿王の年号 - 年号迷路

  • 長い年号ベスト13 - 年号迷路

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