心に大きな穴が開いた オーストラリア事件 僕自身は懸命に、誠実にやってきた。矢沢の音楽を枯らさないようにさまざまな工夫もしてきたけれど、でも悲しい事件は起きた。 その頃僕は、雑誌で読んだオーストラリア、ゴールドコーストに強く引かれて、そこに拠点を作ろうと考えた。1987年のことだった。大自然に抱かれて、ここから世界に発信していくスタジオや音楽学校を作る夢が膨らんだ。当初26階のビルを建てる予定で土地の取得を始めたりしているうちに、日本でバブルが崩壊してしまい、新しいビルを建てるのは時期を待つことにして、買収したビルにテナントを入れ、その収益で土地購入代の返済を続け、十分に採算の取れる運営を行った。 このオーストラリア事業は、信頼している2人の部下に任せていた。英語がうまく、現地で交渉ごとをさせるには適任と思えた人間と、金融関係や不動産関係の仕事経験が豊富な年長の人間。うまくやってくれる人選