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ブックマーク / yryk.seesaa.net (2)

  • 広中一成氏らの見解への疑問(高木俊朗の作品について): 読書放浪記録

    前回、牟田口廉也の宴会エピソードに関する記事を書いたが、その後、再びジセダイ総研に、「昭和陸軍と牟田口廉也 その「組織」と「愚将」像を再検討する」という座談会レポート(以下、単に「レポート」と呼ぶ)が掲載された。 このレポートの内容にも疑問点が多々あるので、改めて検証してみたい。 1 『抗命』と『戦死』の記述の重複説について(1) レポートの中では、以下のようなやり取りが行われている。 「広中:たとえばですが、高木俊朗の『抗命』の中に、牟田口が第十五軍司令部に作らせた遥拝場の前で、撤退してきた幹部の前で長々と精神訓話を垂れて、栄養失調の幹部たちがバタバタと倒れた......という有名な逸話があります。 辻田:ああ、誰でも知っているようなやつですね。 広中:ところが、おなじ高木の『戦死』にはこれに極めて類似した逸話が、桜井徳太郎のものとして出てくるんですよ。こうなると、実証史学的にはどちらも

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    kaos2009 2018/11/11
  • 広中一成氏の「牟田口廉也の宴会エピソード」否定論について: 読書放浪記録

    星海社新書から『牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたのか』を刊行された広中一成氏が、ジセダイ総研というサイトで、「牟田口廉也「愚将」逸話の検証 伝単と前線将兵」という記事を発表されている(以下、「広中記事」と呼ぶ)。その中で広中氏は、「牟田口中将がインパール作戦中に連日宴会を開いていた」とのエピソードに関して、「宴会逸話の初出は高木俊朗の著作か」などとして、その信憑性に疑問を呈されている。 この広中氏の見解が妥当なものかどうか、検証してみたい。 なお、「軍人が宴会に興じていた」などという事実は、公文書に記録されるような性質の話ではないし、当事者が日記などに記録したがる事柄でもない。公的史料や当事者の記録だけに頼って立論しようとすれば、「そのような事実は発見できなかった」という結論に至ることは極めて当然であり、事実関係を明らかにするためには、当事者の周囲にいた人々の証言に当たることが

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    kaos2009 2018/11/11
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