2022年2月22日追記:海外ものを見つけたので追加 見つけたら貼っていきます。
![自衛官募集ポスターがコラかどうか調べるのが面倒なので集めておくことにしたエントリー - 虚構の皇国](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/cea11626bd2d7a9a39bdea9467bbe437101b7c9b/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.image.st-hatena.com%2Fimage%2Fscale%2F8f45806722ad32a12c8383a288cace0a69cd9491%2Fbackend%3Dimagemagick%3Bversion%3D1%3Bwidth%3D1300%2Fhttps%253A%252F%252Fcdn-ak.f.st-hatena.com%252Fimages%252Ffotolife%252Ft%252Ftadanorih%252F20190215%252F20190215135429.jpg)
『新潮45』のわずかな余命を断ち切ってしまった杉田水脈擁護特集、ここに執筆したメンバーの一人、藤岡信勝氏が、産経系WEBメディアのiRONNAに、「藤岡信勝手記「言論圧力に屈した新潮社よ、恥を知れ」」という涙なしでは読めない文章を寄せていた。 ironna.jp 彼が『新潮45』に書いた「生産性」をマルクスのどこからひっぱってきたのかについて前半は費やされているのだが、これがいろいろ噴飯で、元共産党員であった藤岡先生の「昔とったきねづか」も恐ろしく錆びついてしまい、原型をとどめていないのだなということがよくわかった。 藤岡信勝のこのくだりが猛烈に笑える。人間の生産と聞いて史的唯物論の原理なのだからド・イデだとピンとこないで初期マルを語るのも驚きだが、誰訳の岩波文庫版か定かでないが「「岩波文庫の訳者は、よく意味が分からずに訳していたのである」とさらっと書くののも軽率の極みhttps://t.
■炎上した三浦氏のコメント 2017年8月12日、東京新聞で特集記事「気分はもう戦前? 今の日本の空気」が掲載された。この記事は「今の社会に、戦前のかおりがしないか」という問いかけで構成されたもので、ここに国際政治学者・三浦瑠麗氏が登場していた。「全否定は過去見誤る」と題されたコメント記事で、三浦氏は「「戦前回帰」を心配する方々が思い描く「戦前」のイメージに不安を覚えます」と嘆いてみせた。 彼女によると「大日本帝国が本当の意味で変調を来し、人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、一九四三(昭和十八)〜四五年のせいぜい二年間ほどでした。それ以前は、経済的に比較的恵まれ、今よりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だった」のだそうだ。 すぐにわかることだが、敗戦前までの「人権抑圧」は、何も1943年にはじまったわけではない。1925年の治安維持法の制定以降の共産党員や労
古新聞をめくっていたら、盧溝橋事件直後の『婦人公論』誌の広告にこんなのがあった。 東京朝日新聞 昭和12年7月16日付 「貞操と犯罪」号と銘打たれたこの号には「同性愛心中の秘密」「春の目覚めと少年の犯罪」「貞操危険信号」(なかなか秀逸な小見出し)が並ぶ。当時の婦人雑誌はこんなもんなのであまり驚かないが、数々のエロ記事のなかでひときわ目を引くのが、安田徳太郎博士による「現代大学生の童貞調査」である。 これはすでに澁谷知美さんの研究などで取上げられているのかもしれないが、残念ながら私は未見。とりあえず、煽り文句がすごい。 男子を正しく理解することは結婚期の娘にとつても、結婚生活にある妻にとつても、子女をもつ母親にとつても實に大切なことである。この為に私は日本の青年の童貞観念及び童貞破棄の姿を客観的に科学的に一一六七人の青年、大学生を動員して七年間に亙つて苦心惨憺して調査した…… 博士もたいへん
映画やドラマになった「私は貝になりたい」だが、紆余曲折を経てその「原作」とクレジットされるに至った、加藤哲太郎による「遺書」が掲載された『あれから七年――学徒戦犯の獄中からの手紙』(飯塚浩二編、光文社、1953年)を入手した。加藤は本書で「志村郁夫」の筆名を使い、さらにこの「遺書」も「志村」が獄中で拾った「赤木衛生曹長」のものであるとしている。けれども、詳細なスガモ獄中での描写などからして、加藤自身の実体験が反映されたものであり、ことに「私は貝になりたい」の一節は、加藤自身の叫びであったということをみてとることができるだろう。 「私は貝になりたい」の一句はあまねく知られているが、その前後は次のように綴られていた。 天皇は、私を助けてくれなかった。私は天皇陛下の命令として、どんな嫌な命令でも忠実に守ってきた。そして日頃から常に御勅諭の精神を、私の精神としようと努力した。私は一度として、軍務を
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