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ブックマーク / www.marukiyo.jp (3)

  • 首里城を救った男:鎌倉芳太郎②|マルキヨ製菓スタッフブログ

    こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。写真は、先週土曜日に訪れたとある御嶽(うたき)のある場所の写真です。御嶽の外は暑かったですが、中はヒンヤリしていましたよ。 御嶽でパワーをもらってきましたので、8月最後の週も気合いを入れて頑張っていきたいと思います! 首里城を救った鎌倉芳太郎 前回ブログから「鎌倉芳太郎(かまくらよしたろう)」という人物にスポットをあて、記事を書いています。香川出身の彼ですが、鎌倉なくして沖縄文化の研究はなしえなかったと言われる程の人物です。 今回も鎌倉芳太郎のお話を続けたいと思います。前回は、東京にいた鎌倉が新聞記事で「2日後に首里城取り壊し」の記事を目にした後、迅速に行動し、伊東忠太という人物と共に取り壊しを止めたという内容でした。 ⇒【首里城を救った男:鎌倉芳太郎①】 鎌倉の働きかけがなければ、首里城は予定通り取り壊されていた事でしょう。そうなれば、今のよ

    首里城を救った男:鎌倉芳太郎②|マルキヨ製菓スタッフブログ
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    kaos2009 2019/11/01
  • 首里城を救った男:鎌倉芳太郎①|マルキヨ製菓スタッフブログ

    こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。昨日から気持ちよく晴れている沖縄です。朝、天気がいいと仕事もテンション上げて取りかかれます。 こちらは昨日のお昼の写真。あまりにも天気がよく、思わず写メってしまいました。 さて、今回のブログは人物伝。沖縄の誇る観光名所であり、世界遺産でもある首里城。その首里城を救ったと言われる人物(県外出身)を紹介します。 鎌倉資料 昭和47年、西暦で1972年は沖縄が土に復帰した年で、この年に産まれたウチナーンチュは「復帰っ子」と呼ばれています。 首里にある龍潭(りゅうたん)池の近くに、当時は博物館があり、1972年2月、「50年前の沖縄写真展」が一般公開されました。 そこに展示されたのは「鎌倉資料」と呼ばれるもので、鎌倉芳太郎(かまくらよしたろう)という人物の撮影した写真や、彼の作成した膨大な資料が多数公開されたのです。 ご存じの通り沖縄は先の戦争におけ

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    kaos2009
    kaos2009 2019/11/01
  • 首里城を救った男:鎌倉芳太郎③|マルキヨ製菓スタッフブログ

    こんにちは、マルキヨ製菓広報担当の仲宗根です。今回が8月最後のブログ更新となります。今日はお昼過ぎから曇りの予報ですが、最高気温は32度と相変わらず。今日もお水をたくさん飲んで、頑張りたいと思います。 さて、8月最後のブログも鎌倉芳太郎のお話をしたいと思います。 バックナンバー 東京にいた鎌倉が「首里城取り壊し」の記事を見たのが取り壊し2日前。共同研究者の伊東忠太と共に、その取り壊しを阻止しました。それが1度目の首里城を救った話です。 ⇒【首里城を救った男:鎌倉芳太郎①】 戦争で破壊された首里城の復元工事が行われたのが1980年代後半。首里城に関する多くの記録も戦争で失われていましたが、鎌倉が戦前に調査した沖縄関連の資料を東京で保管していたおかげで、首里城を非常に正確に復元する事が出来ました。 これが、2度首里城を救ったと言われるゆえんです。 ⇒【首里城を救った男:鎌倉芳太郎②】 首里城関

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    kaos2009 2019/11/01
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