ブックマーク / d.hatena.ne.jp/hasidream (4)

  • ネギま!感想クリップ 205時間目 - アセティック・シルバー

    感想, ネギまというわけで、205時間目の分。 ◆ネギがナギにならない(なれない)その理由。  この辺り、ネギの中で追っている「お父さん」という概念も変化してきてるんでしょうね。前は表面的な部分を追っていたのが、もう少し抽象的で質的なものになってきてるというか。だから、光と闇で使う魔法の系統が違っても、それは表面的な差異で、未だお父さんの質を追っているのには変わりがないと。(魔法先生ネギま!/マガジン感想/205時間目「父の道か師の道か!?」:ランゲージダイアリー - livedoor Blog(ブログ))ネギが抱いている「お父さん」はすこしずつ姿を変えてゆくけれど、やはり追いつづける=ネギの成長物語、ですよね。このネギが持っている「お父さん」の姿はネギが持っているイメージであって、現実のナギの姿ではないというところはとても重要なところじゃないかなあと。ネギが持っているナギの情報という

  • 『齋藤秀雄講義録』理論的に芸術を組上げる。 - アセティック・シルバー

  • 脚本と演出の違い。 - アセティック・シルバー

    物語論このあいだ教えてもらった両者の違いを確認。ある物語作品があったとして、・一体どういう物語なのかが「脚」・その物語をどう表現するかが「演出」と分けると理解しやすい。意外と分かっているようでわかっていない事なんだよなぁ。この定義の「演出」だとすると、完成作品は「演出」のカタマリなわけだわな。「演出」は見ることができても、「脚」を見ることができないことは結構多い。だからライトなオタクは「演出」について語り合うし、ディープなオタクは「脚」について語り合うという偏見がぼくにある(笑)*1。 「演出」は刹那的かつ瞬間的な快楽を生み出すけど、「脚」は持続的かつ継続的な快楽を生み出すと言ってもいいかもしれない。 さて、この記事中で「演出」をやってのけていることに気づきましたか?。 最初に「脚」と「演出」はこう定義すると言った後にぼくは『「演出」は刹那的かつ瞬間的な快楽を生み出すけど、「脚

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