正字正かな(?)の復權云々についていふなら、そんなコトはまつたくかんがへてゐないひと(ひとたち)が、「正字正かな運動(?)」なんて括りでさういふ活動(寫正的文字遣)を総括できないくらゐのひろがりを、當の運動家(?)が體現するコトができなければ、結局は「少數の『趣味のひとたち』が勝手にやつてゐる」どうでもよい話としてカタづけられてしまふだらう。 これが「正しい」のだ、といふ根據を主張するやうなヤリかたで、「現状の(學校で教へこまれたとほりの)文字かなづかひに對して何ら問題をかんじてゐない膨大な數のひとたち」を、一人ひとり「説き伏せる」なんてのは非常に効率が惡いし、實際に賛同を得るのは至難であるはずだ。 では、どうすればよいのか... と、いつても、特にプランはない。どうするコトもできない。 ことばといふのは日々「たゞあたりまへに」坦々とつかひ續けるしかないのではないか。それ以外に何があ