タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

司法と人生に関するkash06のブックマーク (2)

  • 64歳で弁護士になった元新聞記者 60代での就活、30カ所で「門前払い」 | AERA dot. (アエラドット)

    弁護士としての抱負を語る上治さん(撮影・高橋奈緒〈写真映像部〉)この記事の写真をすべて見る 昨年1月に4度目の挑戦で司法試験に合格した元朝日新聞記者の上治信悟さん(64)が今春、弁護士になった。50代で法律の勉強を始め、9年かかって難関試験をパスした上治さんを待っていたのは、厳しい就職活動と知力と体力を振り絞る「卒業試験」だった。昨年7月9日号で紹介した司法試験合格記に続き、新人弁護士として踏み出すまでの歩みをつづってもらった。 【この記事の写真の続きはこちら】 *  *  * 私は昨年3月30日、1980年以来40年以上勤めた朝日新聞社を辞め、翌日から74期の司法修習生になった。修習を始める前から気になっていたのは、弁護士事務所に就職できるかということと、修習の終わりに実施され卒業試験にあたる国家試験「司法修習生考試」(通称「二回試験」)に合格できるか、だった。 60歳を超え、若い人と一

    64歳で弁護士になった元新聞記者 60代での就活、30カ所で「門前払い」 | AERA dot. (アエラドット)
    kash06
    kash06 2022/05/19
    純粋に、人生って凄いし面白い。
  • 息子を不良少年に殺された母親が、苦しみと向き合い続けた22年間(松岡 久蔵) @gendai_biz

    「犯罪被害者に終わりも退職もないんです」 1997年に兵庫県加古郡稲美町で起きた少年集団暴行事件。当時高校1年生だった長男・聡至さんを亡くした、高松由美子さん(64歳)はこう話す。 事件が発生した当時は、犯罪被害者に対する社会的な保護は現在よりもはるかに弱く、犯罪被害者が別の当事者を支援する場も全国にほとんどなかった。 高松さんは「息子の死を無駄にしたくない」と、当事者にしか分からない苦しみや悔しさへの精神面でのケアなど、犯罪被害者への支援活動に力を尽くしてきた。想像を絶する経験をした高松さんを駆り立てるものは何なのだろうか。 息子の命は、こんなに軽いのか 「まさか聡至が突然いなくなるなんて、思いもしなかった」 高松さんを悲しみのどん底に陥れた事件は、1997年8月23日夜、稲美町の神社で発生した。中学時代の同級生を含む少年10人(当時14~16歳)が、自宅から離れた県立高校で寮生活を始め

    息子を不良少年に殺された母親が、苦しみと向き合い続けた22年間(松岡 久蔵) @gendai_biz
    kash06
    kash06 2019/06/26
    当事者ではない第三者にしか出来ない事はあると思っていて、更正と贖罪とは何かを考え、運用に乗せる事が他者の分なのかもしれない。心から同情しながらも、罰して終わらせたい気持ちを切り離すような。
  • 1